彫塑家都賀田勇馬氏が生涯に渡り彫像製作を続ける為に篭り続けたという元石切場の洞窟、ここが「ハニベ巌窟院」のメインステージである。洞窟の中はかなり広いので手分けして案内しようと思う。まず最初に目に留まるのは「夢牛」と名付けられた牛の彫像だ。ここにも初代院主である都賀田勇馬氏の自慢らしく「院主は当時牛を作らせては右に出る者なしと云われた名人で」との説明書きがある。
ちなみに同じ夢牛は金沢神社の境内にもあり、あと東京の上野公園にも「天神牛」という都賀田氏の作品があるらしいが、どこにあるのかさっぱり不明。
狭い天井で息苦しい洞窟内だが所狭しと彫像の数々が置かれている。これは商売繁盛の大黒様ですね。
ここにあるのは史跡安宅の関にある弁慶富樫の銅像の原型。現地には三体の像があるが全て都賀田親子が製作したものだとか。
人物や動物の彫像ばかりかと思いきや釈迦一代記を描いたレリーフもある。まあでもここまでは「ふーん」の一言で終わってしまいそうなネタである。だが奥に行けば行くほど怪しさも増してくるので油断はできない。
有名な「釈迦誕生像」をモチーフにした彫像はかなり怖い。下手なホラー映画に出てきそうなキャラだね。この洞窟の中じゃ天上天下唯我独尊なのは都賀田院主の方だ。
さすが元石切場だけあって壁面の人工的な切り込みが目立っている。都賀田親子が自分達で掘ったものではないので誤解なきよう。逆にそこまでやっちゃうと凄過ぎるんだが。
すっぽり収まった薬師如来像。「このお薬師さまは無病息災長寿の力があります。」と書かれた看板が新旧二つ置かれている。古い方はボロボロに錆びついていた。
左側には仙人…じゃなくて初代院主都賀田勇馬の像、右側には招き猫。元からある洞窟の壁をそのまま使っている箇所もあれば後から都合よく掘り抜いた箇所もあるようだ。
仏教関係の彫像が多いなあと思って洞窟の奥へ歩いて行くと突然意味不明な造形物が現れる。とっても三角形な感じの人々ですね。見た感じこの辺は院主がアトリエとして使っているスペースのようだ。
そこには沢山の作りかけの彫像が。ハニベ巌窟院はいまだ完成していないのである。
人物像もあれば仏像もあって裸体像もある。仕事で作っているのか趣味で作っているのか見分けがつきません。初代院主の勇馬氏は昭和56(1981)年に90歳で死没しているので今ここにある彫像の多くは二代目伯馬氏によるものと思われる。
デデーンと大仏様の面が置かれていた。柔和な顔つきをしているが見方によってはデスマスクにも見えてちょっと怖いのだ。
現在も胸像製作の仕事を受けているそうですよ。完成まで約3ヶ月!全て院主の手作りだから気長に待つしかない訳だが、現在70歳を過ぎている二代目もいつまで現役でいるのかは分からない。