戦後間近の混乱期に初代院主の都賀田勇馬氏がこの山に篭もり、かつて石切場だった洞窟の中で生涯に渡り彫像製作を続けてきたという。その洞窟を目指して山をしばし登る事になる訳だが、その道中にも色々と見所がある。
「自然陰石(女性の象徴)」と案内が書かれた看板があるが、悔しい事に草木に阻まれてどこがどう女性の象徴なのかいまいち分かりづらい。長い山篭り生活で岩の割れ目があれに見えてしまったのか知らんが水子供養に来た女性に触っちゃ駄目だろう、二代目院主。
その先に進むと院主都賀田氏が生活の場としていると思われる「ハニべ道場」の建物が現れる。見た目は古びた民家でしかない。道場と言うからには何かしら修行をしているのかも知れんがよく解らん。
結構登ってきた所でようやく元石切場と言われる洞窟の穴が姿を現す。洞窟の中に阿弥陀如来像が祀られた「阿弥陀堂」になっている。でもここは入口ではない。一旦素通りする。
そしてこの辺から仏教とは無関係そうな変な彫像がちらほら見られる。何だと思ったら猿の親子でした。
ハニべ巌窟院のメインとなる洞窟に入る手前、「隆明殿」という建物がある。美術館として使われている割合ちゃんとした建物だ。洞窟へはこの中を通り抜ける事になる。玄関口の両側には馬に跨った男女の像…ますます意味が分からない。
また変な置き物があったらどうしようと思ったが内部は比較的まともな感じだった。院主が製作した彫像の中でも割にまともな部類に入るインドの秘仏などが綺麗に陳列されていました。
室内には初代院主である都賀田勇馬氏がご立派に額入りで紹介されている。仙人のようないでたちである。洞窟に長期間篭ってたらこうなっちゃうわな。
明治24(1891)年金沢生まれ、東京美術学校(現・東京芸大)にて美術を学び彫塑家として帝展・文展に連続入選、各種展覧会にて受賞と輝かしい実績がこれでもかと書かれている。日展審査員や有名な彫塑家である朝倉文夫氏の朝倉塾塾頭にまでなった人物だが戦後は全てを捨てて山篭り。波乱万丈の人生ですね。
つまりハニベ巌窟院は彫塑家都賀田勇馬氏の人生そのものが詰め込められた「パラダイス」であるという見方も出来る。
随分ほったらかされた感じがする美術館だがよく見るとハニベ大仏の顔がデーンと大写しになった小松市の観光ポスターが貼られていた。「鬼も遊ぶ、仏陀の里」…なんかよく解らんフレーズですがそんなにメジャーなのねハニベって。
足元には色々と道具が置きっぱなしになっていたりハニベ巌窟院のロゴ入りヘルメットが落ちていたりしてかなりテキトーな感じだ。多分、昔は洞窟に入る時に客がこのヘルメットを被らされていたのだろうかね。
隆明殿を抜けるとその先が伝説のハニべ洞窟である。俗世間とは隔絶された地下空間の中に渦巻く彫塑家都賀田一家の創り上げた超スペクタクルワールドがすぐそこに広がっているのだ。