タオルと造船の街、愛媛県今治市。工業都市として栄えてきたこの街には、戦後の時代を彷彿とさせる街の痕跡がそこかしこに残されている。今治駅前の赤線跡もそうだが、もう一箇所どうしても見ておきたい場所があった。
それが今治市街地を流れる「蒼社川」の川べりの風景だった。この蒼社川の河口部付近には戦後の時代に建てられたらしいバラック小屋やその成れの果てが、川べりの土手沿いに1キロもの間ずらりと並んでいるという凄まじい光景が未だに見られると聞いていたのだ。市街地の南側を流れる蒼社川まで少し足を伸ばしてやってきた。
蒼社川に架かる新蒼社橋の上に立つと、川べりの土手に沿って確かに民家が並んでいるのが見える。河川敷の草むらに紛れていてやや見えづらいが、土手の内側にもお構いなしに家がボコボコ建てられているのも分かる。
しかもその家々の様子を見る限り、相当築年数が過ぎてくたびれまくっている事もよく分かる。屋根瓦が一部崩れ落ちていたり、足場が組まれ建て増しされているバルコニーの部分も崩れて蔦まみれになっている家などもある。半ば廃墟と化しているようだ。
新蒼社橋の脇から伸びる土手沿いの道に入る。ここが河川敷バラックのメインストリートとなる訳だが、当然ながら地元の河川管理者や何やらの警告看板が立ち並んでいるのである。これはダムの放流時の増水に注意せよとの玉川ダム管理事務所の看板。危ないから河原に降りないでくださいと言われても、その河原にまで家が建っているという始末。
さらに「メインストリート」を行く。橋の上から見た通り、土手の上に立ち並ぶ家屋はどれも古びており廃屋化している所も多い。錆びついたトタン張りの家屋は何らかの工場か倉庫に使われていたと思われる大きさのものもある。空き缶拾いとかスクラップ屋だったんでしょうかね。
まさしく「愛媛のリアルパッチギワールド」炸裂。よく見りゃ川向かいにも韓国料理屋があるし、在日コリアンな方々が相当住まれていたようだった。こういう場所は他にもあって、大阪の桜ノ宮だったり京都の東九条、川崎の戸手四丁目なんかにも似たようなものがあるが、すっかりクリアランスされ気味。そういえば焼肉のたれの日本食研も本社が今治の妙な宮殿だったな。キムチと焼肉が恋しくなってきました。
こんな放置プレイ気味の土地柄なのか不法投棄も随分と目立つ。テレビや冷蔵庫などの大型家電や廃タイヤ、それにどこかの金融不動産業のなんとか商店の看板までもが散乱しまくっている。
ここまで不法投棄が多いとさすがに閉口してしまいそうになるが、そりゃ川沿いの土手でリサイクル屋なんぞやっている業者があれば市民の中には面倒臭けりゃここに捨てに来れば良いと暗黙の了解も出来てしまうというもの。だがそれっぽい業者もあまり居ないし、むしろ廃屋が多い。
勝手気ままにぶっ建てたバラック村にありがちなDIY感がここにも。錆びた鉄製のフェンスはよく見るとトラックの荷台についている「あおり」を縦に重ねたもののようだ。「佐藤化学の内外装タイル」「吉祥商事」の文字がうっすら見える。廃車の有効活用というやつでしょうか。
…で、そのフェンスの内側にもびっしりと金属部品やドラム缶、家電などの不法投棄ゴミがこれでもかと散乱しまくっている。これはひどい。
トラックの部品どころかどこから持ってきたか分からない「道路のガードレール」と思しき金属部品まで有効活用されているという始末。無法地帯かここは。
かなり荒んだ状態になっている蒼社川バラック村だが、これでも人は未だに住んでいるというのだから驚きだ。とはいえ住民の高齢化が激しいようで空き家も多いし、空き家の解体後更地にされ河川管理者(愛媛県)によってフェンスが設置された箇所も目立つ。
フェンスの内側にも愛媛県が設置した看板が。「ここは河川区域のため次の行為を禁止します」の1から5まで全部当てはまっている物件ばかりである。それでも強制撤去に乗り出さないのは、やはり人道的な見地からでしょうかね。
蒼社川バラック村は河川敷不法占拠スラムとしては日本屈指の規模を誇る。なにせこういう箇所が川の両岸1キロの範囲にびっしりあるのだから。我々が歩いたのはほんの一部分でしかないことを強調しておきたい。