廃墟と誰も居ない砂浜…鹿児島県最南端・寂れたリゾートアイランド「与論島」上陸記 (全6ページ)

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戦後沖縄県が日本に復帰したのは昭和47(1972)年5月15日の事である。ご存知のようにそれまで沖縄はアメリカ統治時代があり、本土在住者が沖縄に旅行に行く為にはパスポート(厳密には旅券ではなく日本政府発行の身分証明書)が必要だった訳だ。今ほど海外旅行も一般的じゃなかった時代の事、本土からパスポート無しで渡れる最南端の島というのが、鹿児島県に属する与論島だった。

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鹿児島県最南端の島の玄関口

与論島から見える沖縄本島

与論島の位置は鹿児島から南に563キロだが、それに対して沖縄本島最北端の辺戸岬からは僅か22キロしか離れていない。沖縄は琉球政府という米軍傘下の統治機構として日本とは別の国となっていた訳で、かつてこの間には国境線があり、人々は自由に往来する事が出来なかった。沖縄の本土復帰を願う双方の住民による交流会も毎年行われ、北緯27度線の上で与論島と沖縄の住民が握手をしたり双方から狼煙を上げていたり色々やっていた時代もあった。晴れた日の与論島からは沖縄本島の島影がくっきりと見えている。

与論島

そんな与論島が一時期空前の観光ブームに湧いていた事があった。それは沖縄が日本への復帰を果たす直前の1970年代から沖縄が復帰後本格的に観光整備を始めだした80年代までの約10年間に起こっていたらしい。この当時は離島観光ブームで与論に限らず全国の離島が持て囃された時期でもあったのだが、特に与論島はマスコミによる観光アピールが功を奏し、東京や大阪からの航空便やフェリーが充実し、一時のリゾート気分を満喫するべく若者世代を中心に観光客が与論島に押しかけていた。その数、年間15万人。

与論島

沖縄県の日本復帰と共にリゾート開発は沖縄へシフト、以後にブームが去り、リゾート旅行の分野に関してすっかり沖縄にお株を奪われた事と、さらに海外旅行が一般化してきた事から年々観光客が減少、今では1日1便やってくる鹿児島-那覇便のフェリーか鹿児島もしくは那覇空港発の飛行機くらいしか行ける手段がない。船ならマルエーフェリーとマリックスラインが1日交代で那覇から5時間(本部からは2時間半)、鹿児島からは船上で一晩明かして片道20時間掛かる。

時間も旅費も無駄に嵩張るし、好き好んで来る観光客も居なくなるだろう。しかし我々はそんな寂れたリゾートアイランド与論島が気になってしょうがなかったのだ。フェリーに車を積んで沖縄本島から鹿児島に向かう途中、本部港から片道2時間半で与論島に渡ってきた。この行き方だと意外に近く感じるよね。

与論島

周囲23.5キロメートル、人口5200人が住む鹿児島県最南端の島へ上陸。島の南西部にある供利港に接岸すると、そこには搬入を待つ貨物コンテナと共に黒毛和牛がぎっしり詰め込まれたコンテナが置かれていた。絶え間なく漂う家畜臭。モウー臭くてかなわん。

与論島

那覇から本部港を経て与論島に渡ってくるフェリーは寄港先で生きた牛をその都度搬入して最終的には鹿児島港に渡り食肉処理場に連れて行かれるそうだ。まさにリアルドナドナ。やはりこいつらは美味しい薩摩黒毛和牛として市場に出回るのだろうか。

与論島

供利港の待合所は建て替え工事のため仮設の建物で営業中。トイレを借りる為に中に入ると「ヨロンパナウル王国出入国管理局」とか書かれた立て看板がひょっこり置かれていて寂寥感を漂わせている。こういう「独立王国系まちおこし」、1970年代から90年代までの間に地味に流行ってましたな。むしろ昭和の遺物ですが。ちなみにパナウルという名称は「花」と「珊瑚」の方言から来ている。

与論島

供利港からそれほど離れていない場所にある与論空港も島の玄関口。観光開発がお盛んな沖縄の綺麗な空港施設と比べると古臭いまんまで非常にくたびれた佇まい。これだけ沖縄に近いのに鹿児島県だというのも色々不利な気がしてしょうがないのだが…航空便も今では鹿児島および那覇発の1日1便、奄美大島および沖永良部島から交互に1日1便という低頻度。一応夏の連休中とかは増便もするそうだが。

与論島

フェリーか飛行機しか来る手立てのない離島であるはずの与論島には「ヨロン駅」という謎の鉄道駅が存在している。まあ厳密には鉄道駅というかそれ風のオブジェなんだが何のギャグで作ってしまったのか定かではない。供利港のすぐ近くにあると聞いて来てみたが場所が非常に分かりづらく、妙な瓦礫の山が積まれた未舗装路を無理くり進んでいくとようやく見つける事が出来た。

与論島

多分誰も知らない「ヨロン駅」の駅名表示板。次の駅が「おきなわ」「かごしま」になっているという適当ぶりに泣ける。記念撮影するようなテンションにもならんぞこれは。

与論島

そして製作者の自己満足以外恐らく何の意味も成さないであろうレール、枕木と車輪のオブジェを構成する部品群。この与論島に鉄道が通る日がいつかやって来るのだろうか。無いだろうな。恐らく自分が生きている時代のうちには。

与論島

ちなみにヨロン駅に向かう途中の道はこんな感じ。津波でもあったのか何かかと思わせるような大量の瓦礫の山。島の最終処分場なんでしょうか。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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