石造り風の屋敷の先に「一番坂」が控えている。陸奥湾に向けてなだらかな坂が続く大湊の街には各所に名前の付けられた坂があり、それぞれに港町である街の風情を醸し出している。この坂に沿って屋敷の横っ面を間近に拝む事が出来るのだが、さらにそこから坂の上に登っていく事にする。
あの屋敷だけが異質であるが、他は概ね普通の住宅街が連なっている。しかしあまり生活感が感じられないのはなぜだろう。坂道を上がるとたいてい坂の上には釜臥山の姿が見える。
この付近の民家も殆どがトタン葺きの真っ直ぐとした屋根が使われている。よく見ると窓から見える障子が破れたままになっていたり、荒れた形跡がある。やはり廃屋なのだろうか。
しばらく坂を登ると左手にひときわ大きな民家が見えて来る。単純に一軒家としては大きすぎるように見えるので、ここも遊郭跡なのかと勘繰りそうになる。
坂の上と下で3階建てになった、ひと際大きな木造建築。旅館か何かと思えるような建物だが、横手に回り込むとヒントが隠されていた。
まるっきり錆びついてしまっている看板だが「産室に付静かに願います」とはっきり文字が読める。つまりこの建物は元が産婦人科だったようなのだ。大湊はあまり大きくない街ではあるが、これほど大きな建物の産婦人科があったという事は、もしかして遊郭の存在と関係あるのだろうかと想像を巡らせる。
人の気配がすっかり消え失せた大湊の街並み。それでもフキノトウの大群が遅い春に顔を覗かせている。
元産婦人科の建物まで坂を上がってくると、眼下には陸奥湾を見る事ができる。
元産婦人科の脇に入ると、そこにも容赦なく廃屋の数々が見られる。それも相当年数放置された凄まじいオンボロ屋敷がそこらじゅうに転がっているのだ。これが最果ての地で見られる日常風景なのね。
建物手前の板葺きが崩れて壁の中身が丸見えになってしまった長屋タイプの廃屋。
家の主が居なくなると途端に家というものは脆く崩れていくものなのかと。しかも雪国だし、海沿いなので風も強い。年中通してこんなあばら屋で暮らすというのはどういう生活なんだろうか。
廃屋は玄関口が2つ並んでいて所謂ニコイチの長屋になっていた。それぞれの玄関に番地が割り振られているが、そのどちらにも人が住んでいる気配はない。