映画「飢餓海峡」の風景、本州最北端の軍都!下北半島・むつ市「大湊」を訪ね歩く

<4ページ目を読む

大湊上町付近を歩いていると、もう一つ「ロマンス坂」というなんとも意味深なネーミングの坂が現れる。坂の上にぽつんと建つロマンス坂の標識。ロマンスという言葉からは程遠い寂寥感ばかりが漂う街中にあって、この名前が付けられたのはただの思いつきや当てずっぽうではない。

明治時代に大湊が栄えていた頃、この坂の中程に「ロマンス座」という演芸映画館があった名残りを坂の名前に留めているというのだ。

まさかこんな場所に…と思えるような風景だが、確かに昔は映画館が出来る程の大きな街だったのだ。

陸奥湾に向かってなだらかに下り坂が伸びる大湊の街だが、とりわけロマンス坂から見える海は美しさが際立つ。坂に沿って続く民家と背後の海との距離感が独特の風情を放っている。

背後には残雪を被った釜臥山がそびえ、その手前には青々とした杉林が連なる。海側、山側ともに美しい風景だ。この風景を見てロマンス坂だと勝手に納得して帰っても致し方あるまい。

ロマンス坂を下る途中に、まるで神社がかつてあったような階段だけが残る奇妙な丘がある。10段ちょっとの石段の上を登るとしだれ桜が遅い春を待ちわびていたようにつぼみを蓄えている。下北半島の春はすこぶる遅い。ゴールデンウィーク中でも、ソメイヨシノですら開花していなかった。

さらに坂を下ると右手側に特徴的なアプローチと玄関口を持つ古民家が残っていた。

あっという間にロマンス坂を下りきると、再び最初の石造り風の屋敷が建っていた商店街沿いの通りに戻る。

大湊駅からこの通り沿いに海上自衛隊基地がある方面まで進むと、およそ5キロ程度も市街地が切れ間なく続いているのだ。

時間の都合もあってその全てを見る事はかなわなかったが、確かにかつては軍港として栄えていたであろう大湊の街の痕跡は今でも充分窺う事ができる。

再び大湊駅方面に歩いていく事にする。所々無駄に大きい民家を見かけるが、昔は店だったのか、それとも遊郭跡なのか、いちいち観察しなければ気が済まなくなる。

表通りから少し入り組んだ場所にも遊郭建築らしき建物が隠れていたりするので気が抜けない。これだけ年数を重ねた建物が残っているのは、やはり大湊自体が下北半島の僻地にあって都市開発というものとは無縁の土地だからだろう。

2階部分の意匠に特徴を見せる個人の民家。この家も例に漏れず空き家なのだろうか、玄関の表札が抜けていて2階部分は破れた障子が開けっ放しになっている。

眼前に雄大な自然を見せつける下北半島の軍都、大湊。海上自衛隊基地もあって現在もその機能は失われていないが、賑わいというものからおおよそかけ離れた街の風景は本州最果ての地の現実を突きつけられるような思いだった。

土地に留まり生き続ける人もいれば、街を出る人もいる。しかし全国的に地方から人が消え、街が消えようとしている傾向は変わる見込みがない。

郵政民営化か何か知らないが大湊郵便局も向かいの小さな建物に移転して、元の建物ががらんどうになっていた。大湊への唯一の鉄道、JR大湊線も東北新幹線の青森延伸とともに廃止されるのではないかと噂されたが、当面は営業を続けるそうである。


The following two tabs change content below.
新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.