米軍基地の存在は今の日本、とりわけ数多くの基地を抱える沖縄に残る最もシリアスな問題の一つである。敗戦を機に日本はその軍事力を放棄し代わりに米軍が居座る事で皮肉にも軍事的な抑止力が機能して平和を保っているという状態だが、反米極左プロ市民が湧いているせいで、ことさら沖縄の米軍基地の事を話そうとするとヒステリックな被害者感情的な言説が国内外に溢れていて事の本質に迫れない。
それじゃ自分の目で沖縄にある米軍基地を見てやろうじゃないかと思ってまず訪れたのは基地移転問題などでも度々名前にあがる「普天間飛行場」を擁する宜野湾市にある「嘉数高台公園」。この公園の展望台から普天間飛行場が一望出来、さらに戦時中には激戦地でありトーチカや地下壕の残骸が今も見られるという生々しい戦跡でもあるのだ。
その公園を訪れると近所の子供が普通に野球していたりと平和そのものな光景でしかない訳だが、のっけから「世界人類が平和でありますように」のポールが立っていたりしてチョイチョイ香ばしいエキスが垣間見える。白光真宏会が建てたやつですね。
さらには駐車場のある電柱にはこんな看板まで貼られていた。「共産党の躍進で米国・財界にモノいえる政治を」米軍による支配の象徴といってもいい普天間飛行場を目の前にして、こうした政治的主張が見られるのはさすが基地の街らしい風景。
嘉数高台公園という名前だけあって公園内に高台がありその頂上には地球儀を模した展望台がデーンと建っている。
その展望台目がけて目の前の大階段をひたすらまっすぐ登っていく事になる。見ての通り結構な高さである。
その階段の足元には何やら大事そうに保存されたコンクリート壁が置かれている。これも沖縄戦の激しさを物語る物証の一つだ。
沖縄戦の激戦地だった嘉数では日米両軍の銃砲弾が街中に飛び交っていた。ここにあるのはその当時の銃痕が大量に残されたコンクリート壁である。
大階段を途中まで登っていくと日本軍がかつて立てこもっていた陣地壕の一つがある。親切に案内板も置かれているのですぐに分かる。
階段から外れた高台の斜面沿いに陣地壕の入口が現れる。沖縄戦の最中、上陸する米軍をここで迎え撃つ為に日本軍は沢山の陣地壕を掘り抵抗を続けた。
嘉数高台は「第七〇高地」と呼ばれ、嘉数の戦いによって痛手を受けた米軍はその後の掃討作戦を火炎放射器を使って洞窟陣地を焼き払う「馬乗り戦法」に重点を置くように変えた。
米軍に「死の罠」と呼ばれ恐れられた陣地壕の一つ。ここは自然壕となっている。火力で米軍に劣る日本軍は陣地壕からの奇襲作戦で沢山の米兵を討った。
先程の大階段を上り詰めるとその正面に展望台が現れる。かつての沖縄戦における激戦地は現在も今も日本が突き付けられている現実と平和について考える場になっている。