話題のオスプレイも丸見え!普天間基地が見渡せる「嘉数高台公園」へ行こう 

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最後に嘉数高台公園にある数々の慰霊塔を見ていく事にする。沖縄戦最大の激戦地と言われた嘉数高台、16日間に渡る戦闘で命を落とした日本兵や住民の数は約6万4千とも言われるが詳しい実態は明らかになっていない。嘉数高台で命を落とした兵士の多くは京都府出身の将兵であった。そのため「京都の塔」という名前の慰霊塔がある。沢山の慰霊塔がある中でも最も中心的な存在のようで、立派な献花台と両脇の石灯籠に挟まれた目立つ場所に置かれている。

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碑文によると京都出身者は将兵2530人余りとの事。戦後になって京都府出身の遺族らによってこの地に建立された。

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京都の塔の右奥に隣接して「嘉数の塔」がある。両脇には平和施設にはありがちな千羽鶴の供え物。嘉数地区で犠牲になった一般住民を慰霊しているとの事。千羽鶴は近所の住民が置いているものだが、過去には心無いDQNに焼かれる事件もあった。

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そしてもう一つの「青丘の塔」というのが韓民族出身沖縄戦戦没者を慰霊するために置かれたものだ。沖縄戦では日本兵に混じって大勢の韓国朝鮮系の兵士も投入され犠牲となった。

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碑文には386人の韓国朝鮮出身者を祀っているとの事。しかしまあこういう話のネタでは必ず強制連行だの慰安婦云々だの騒ぎ立てる連中がいるのだが、碑文の内容はいたってニュートラルなものだった。

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慰霊塔が並ぶ向かい側にトーチカの残骸がある。高台から一段下がった斜面の下にぽっかりとコンクリート製の陣地が沈み込んでいるのが見えるがそれがトーチカだ。

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トーチカの裏側に人が入れる小さな開口部がある。デブには通れない狭い出入口の中に兵士が3人程立てこもれるスペースがあり、正面に開いた銃眼から高台の下にいる敵兵を狙う事が出来た。

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斜面を降りてトーチカの正面に回りこんでみた。コンクリートは激しい砲撃によってメチャクチャに破壊され原型を留めていない。銃眼の跡と思われる穴だけが開いている。

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破壊され大きく開いた銃眼の穴から向こう側に真四角に切り取られた出入口が見える。コンクリートの塊は経年劣化や侵食で自然岩のような形になりつつあるが砲撃によって鉄筋が剥き出しになっているのを見ると、この塊が人工物という事が分かるはずだ。

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四角く刳り抜かれたもう一つの銃眼。このような物騒なものが普通に公園内に残っていたりするのはさすがに過去の激戦地の名残りだけの事はある。

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案内板にあった3つの慰霊塔の他、「島根の兵奮戦之地」と書かれた島根県出身兵士を祀る慰霊塔もある。

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その横にはただ「弔魂」とのみ刻まれた石碑が。一体どれだけの人間がこの場所で命を落としたのだろう。

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何かの意味があると思われる、やや大きめのコンクリートの祠も慰霊関係のものだろうか。横面に文字が刻まれているようだが掠れて読めない。

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厳重に締め切られた鉄格子の中には何かがあるようだが…暗闇に紛れていてよく見えない。

夜ともなると嘉数高台公園は夜景スポットとして普天間飛行場や周囲の街並みが綺麗に見られる場所だそうだが、DQNの出没も多く危険を伴う。あと人によっては心霊スポットにもなる。

かつての熾烈な沖縄戦の舞台は、今や市街化して都市に紛れた土地の一角に今なお存在感を示している。目の前の米軍基地を見下ろしながら、沖縄の現実にガチで向き合う場所がこの嘉数高台だ。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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