特攻兵器・人間魚雷“回天”の島…周南市「大津島」上陸記 

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大津島には呉海軍工廠の魚雷発射試験施設が昭和12(1937)年に開設され、その後人間魚雷の基地に変わる訳だが、戦局悪化を迎えた日本軍がその状況を好転させたい願いから「回天」の名が付けられたという。大津島にある回天記念館までやってきた。門柱を潜るとその先には当時命を散らした特攻隊員の名前が刻まれた石碑が両側一列に並んでいるのが見られる。

回天による戦没者145名の氏名と出身都道府県が記されていた。中には花束が添えられた石碑もあり、遺族が訪問している事を伺わせる。まだ「戦後」は終わっていない。

傍らには一際大きな「回天碑」。人間魚雷回天の存在については戦後長らく公にはされていなかった。この記念館が出来たのも昭和43(1968)年になってからだし、戦後の自虐史観的風潮から「非人道的」「戦果なし」などと偏った書かれ方もしてきたのだ。

そして徳山港や呉の大和ミュージアム、東京九段の遊就館などでも見られる回天のレプリカがここにも展示されている。

この中に人が乗り込むとは…当時の日本人はもう少し小柄であったとは言え、恐らく殆ど寝た姿勢のままで動く事はできないはずだ。

回天記念館の館内は戦没者の遺影、遺書、軍服などの遺品がある他は簡潔な展示にまとまっていて、良く言えば無難だが悪く言えばお役所仕事的な博物館といった感じ。遊就館や大和ミュージアムの方がよっぽど踏み込んだ内容になってるぞ。

「養浩館」に居る初代館長だった高松工氏が不満気だったのがなんとなく分かる気がする。当事者だからこそ伝えたい話もお役所フィルターが通ると全く違った形になってしまう。戦争の悲惨な記憶を後世に語り継ぐのも楽ではない。高松氏も今年で御年90歳である。

館内には大津島以外の光、平生、大神の3ヶ所の回天基地の構内図も展示されている。

館内のレプリカには内部構造の模型もある。直径1メートルしかない魚雷の中に人間が乗り組んで敵の艦隊へ…という事を想像するのにこれ以上リアルな物証はない。あの神風特攻隊も同時期に編成されている。壮絶過ぎる時代だ。

山の上には魚雷見張所跡などもあるが今回は時間の都合でそこまで行かず。本当に基地の島である事がよく分かる。次の船の時間も近かったし、今回はこのへんで島を去る事にした。

急ぎ目にフェリー乗り場へ向かうと既に帰りの船が到着していた。行きの「回天」とは違って今度は自動車も積める「フェリー新大津島」だ。

港には野良猫が気ままな昼下がりの時間を過ごしていた。離島ってどこもそうだけどやけに猫が繁殖しまくるよな。

幸いにも半世紀以上平和な時代が続いているこの国であるが、遠くない過去にこの国を守る為に進んであの人間魚雷に乗り込み命を散らせていった人々が居たという事実を念じて島を離れる事にしよう。まあ月並みな締め方なんですが…


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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