青森・金木町の名物と言えば吉幾三や太宰治ばかりではない。日本各地の選挙に立候補してきた選挙マニアで豊臣秀吉の生まれ変わりであると自称する羽柴誠三秀吉が城を構えているのもここ金木町なのだ。
金貸しで大地主にのし上がった太宰の父・津島源右衛門も、田舎のプレスリー吉幾三も、秀吉の生まれ変わりも、みな地元である金木町に立派な屋敷なり城なりを抱えている。青森県人が成り上がったら、とりあえずでかい城を建てたがる趣味があるのだろうか。
ちなみに吉幾三がバブル期に地元に建てた城、通称「ホワイトハウス」は手放してしまい誰も住んでいない。国道沿いに建つ「いくぞうハウス」も同様に閉鎖されている。吉幾三本人が味付けしたラーメンが食べられたり吉幾三グッズが買えたりしたらしいが、2008年5月末で閉店してしまっている。
この「いくぞうハウス」のすぐ近く、津軽鉄道嘉瀬駅から東に1キロの地に、羽柴誠三秀吉が住む「小田川城」が建っている。
国道から脇に入り津軽鉄道の踏切を跨いだ辺りに小田川城温泉と書かれた案内看板が現れる。そこには「ようこそ秀吉のふる里へ」とあるが、よく見ると「秀吉」の下に「やまと」という字が透けて見えている。
ちなみに羽柴誠三秀吉の次男はタレントの三上大和だ。一時期はテレビ出演も多かったので、知る人ぞ知るといった存在だろうか。
しばらく走ると、畑と山しかない開けた道路の途中から趣味の悪いラブホテルのような建物が乱立する光景が目に飛び込んでくる。
選挙マニア羽柴誠三秀吉の城は温泉旅館を兼ねている訳で、地元はともかく遠方から立ち寄る客も多い。さらに農道のような脇道に入り込んで先へ進む。
どうやらこの場所が小田川城の正門入口、ということらしい。「小田川城の由来」には本当かネタかよく分からない話が書かれていて爆笑ものだが、運営会社の羽柴グループは羽柴誠三秀吉一代で作り上げたそうだ。
正門入口の看板から先に進むと、あとは道なりに沿って進むだけだ。他に民家もなく閑散としているが、城の周りにお堀が張り巡らされている訳でもない。
道端の電柱にはこの土地が「小田川藩」の国道1号線であることを示す看板まで掲げられている。既に日本国ではなかったようだ。もうやりたい放題である。おまけに農耕車優先だし。
小田川藩国道1号線が左に折れる正面にも「元気が出るたまげだ温泉」と、どでかい看板が掛かっている。小田川城温泉だけではなく黒土の販売もやっているらしい。表の看板に書かれていたように金の採掘はやっていないのだろうか。
小田川城の手前には小田川藩の貴重な資源であろう黒土の保管庫が建つ。傍らには黒土を運び出すためのものだろうか、ユンボなどの建設資材が放置されていた。
しかも黒土だけではなくいのしし牧場まで運営しているのだ。さすが一国一城の主、食糧も資源も自前でしっかり蓄えているというわけですな。しかし、肝心のいのししはどこにも居ないし、鳴き声すら聞こえてこない。
車を降りた途端に凄まじい悪臭が漂ってくるのは何故だろう。いのしし牧場から漂ってくるものだろうか、この付近の土地は有機的な悪臭に支配されている。
実は小田川城温泉は我々が青森入りする直前の4月下旬に原因不明の火災で通称「国会議事堂」と言われる温泉旅館の建物が全焼してしまい、来た時には営業していなかった。(→詳細)
それで小田川藩国道1号線はバリケードで封鎖されていて正面突破が出来ない状態になっていたのだ。(でも脇から抜けられる)
黒土販売だけは続いているようで、このような看板が掛かっている。
温泉には入れないようだが、とりあえずここまで来た以上後に引く事はできぬ。いざ小田川城に入城である。それにしても看板の津軽弁が脱力感を誘う。
「おいの湯さはいれば、頭いいぐなって長生ぎするはんで、ゆっくり楽しんではいってけへ~」