明治時代の遊郭建築旅館「新むつ旅館」がある八戸市の遊郭跡「小中野新地」を歩く

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旧八戸商業銀行のレトロモダンな建物の角を曲がって南側の路地に入ると、もう一本広いめの街路が通っている。
街路の東側から入ると、古い民家に紛れて板金工場や商店が並んでいる。昔は工業が発展した地域で「小中野ぜんそく」と地名のついた公害病まで出るような土地だったそうだが、現在はそれほど極端な事はない。

この通り沿いに西に向けて歩くと、途中で2回、街路が不自然に鈎状にクランクしている妙な光景を目にすることになる。


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この不自然な鈎状の街路が遊郭時代の名残りである大通りであるそうだ。

東京・吉原の見返り柳の前に、遊郭の中を外側から見えなくするためにわざと遊郭の入口付近の街路を曲げるような細工がなされているケースがあるが、小中野の鈎状道路も似たような成り立ちなのだろうか。

元は33軒もの遊女屋が並び、120人もの芸者がいたと言われているような場所だが、明治時代の話という事もあり、その当時から残っている建物は「新むつ旅館」一軒を除いて殆ど存在しない。

大通りに沿って建つ民家も土台から斜めに傾いていたりとかなりボロさに磨きが掛かっている。

大通りを西に進むと最初のクランクの手前に真っ黒なトタン板の長屋タイプの飲食街が、これまた真っ黒な口を開いて佇んでいる。吸い込まれるように中に入った。

夜の歓楽街ということもあろうが、中は電灯も灯っていない上に80メートル程続く長屋なので、殆ど洞窟探検気分だ。十数軒程のスナックが表通りの青い森信用金庫前までそのまま縦列に連なっている。

中の様子があまりに暗すぎるので、ストロボの世話にならなければ何が写っているのか分からないレベルである。案の定飲食街のスナックの看板が昭和全開で素晴らしい。

飲食街の途中に窓がある付近だけは辛うじて陽だまりを作っているが、それがなければ懐中電灯無しではまともに歩けなさそう。遊郭跡という性格を持つ街だということが、こうした怪しげな飲食街の存在でよく実感できる。

ということで、反対側まで歩いてきた訳だが、こっち側の入口は店の備品か何か使っていないガラクタが積まれていて物置状態になっている。

表通り側の入口にはスナック2軒の看板が並ぶ。さくらんぼにあじさい。

スナックと書かれたロゴが特撮ヒーローばりの躍動ぶりを見せていて無駄にカッコいい。

向かいは青い森信用金庫だが、隣は青森銀行。銀行員御用達か?

正面から飲食街の入口を見る。正面の看板にある「軽食&喫茶 白馬」はこんな佇まいなのに本当に朝8時から営業しているのだろうか。残念ながら来たのは朝7時だったので、開いているのかどうか確認出来なかった。

再び鈎状道路に戻ると先程辿ってきた飲食街の裏側がまるっきり空き地になっているので広々と見渡せる。粗末なコンクリートブロックに覆われた簡易的な建築であることがわかる。

長屋飲食街を過ぎると最初のクランク部分に差し掛かる。その先には一軒の民宿と3階建ての開業医の建物がある。

場所柄なのか知らんが民宿の方もあまり商売っ気のない佇まいをしている。隣の医者は「常世外科・胃腸科」というそうだ。苗字としても珍しいが、死後の世界の「常世」だったらどうしようと思っちゃう。

常世外科・胃腸科の駐車場に隣接して、かなり古びた木造2階建ての大きな家屋がある。玄関口の目立った唐破風が、ここが昔遊郭跡だったことを匂わせる。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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