寂れててもやっぱり温泉観光地の王道を行く「熱海温泉」旅行記2010 

静岡県

日本各地を旅行する中で、やはり日本の独特な雰囲気を窺い知る事が出来ると思える特殊な場所が、温泉街だ。火山国の日本では古くから温泉と人が密接に関わってきたのだ。日本人と温泉は切っても切り離せない関係にある。

近代化に至り、昭和の時代になってからもその風習は受け継がれ、各地の温泉街は手軽なリゾート地として、また新婚旅行の名所として、はたまた古い体質の企業の慰安旅行先として親しまれてきた。

その代表格が熱海である。東京からわずか100キロの位置にある、静岡県伊豆半島の東の付け根に位置する温泉地だ。

明治時代から保養地として当時の政府高官が訪れるなどしてきた土地で、大正末期に現在のJR東海道本線となる鉄道省熱海線が開通してから、東京至近の温泉街として本格的に発展を始める事になる。現在では熱海駅まで東海道線で東京や横浜から2時間足らずで来る事が出来る。しかも東海道新幹線の駅まで併設されている交通至便な温泉地は他には存在しない。

熱海駅前商店街

熱海駅の改札を降りて右手には駅ビル「熱海駅デパートLUSCA」。物凄く昭和の空気を引きずった雰囲気の土産物屋が立ち並ぶ。ビル管理会社の統合で最近「ラスカ」という名称が付け足されたのだが、この建物には似合わんネーミングだ。

熱海駅デパートの2階には申し訳程度に飲食街がある。建物自体がかなり年季が入っていて、案の定老朽化の問題もあるため建て直しの計画も挙がっているという話がある。

2階に上がってみても、どうしようもなく古臭い和食と中華料理の店ばかりでことごとく昭和の空気が淀みまくっている。熱海は駅ビルの時点で既に半端ない。

それ以前に「デパート」なのに2階建てというのが凄い所である。建物に掲げられた看板のフォントもすこぶる年代物で素敵。

昭和の高度経済成長期の時代には新婚旅行ブームや近場の慰安旅行先として熱海は凄まじい活気を見せていたが、その後の海外旅行の庶民化、レジャーの多様化などでみるみる温泉街が衰退、1990年代には廃業するホテルが続出し、廃墟だらけの酷い状態となっていた。

熱海市の財政も実質赤字状態に陥っており、2006年には熱海市長自らが「財政危機宣言」を出した事で波紋を呼んだ。

そういう事を聞いていたので、熱海駅前の「平和通り名店街」あたりにごった返す観光客の姿は予想とは反していた。ここを見ている限り、熱海の観光が危機に陥っているとはとても思えないのである。

それもそのはず、近年の世界同時不況による影響は、旅行者の行き先を海外ではなく国内に、足を飛行機や自家用車ではなく鉄道にシフトさせた。その結果が熱海に再び観光客を取り戻しているという皮肉な現象というわけだ。

駅前からまっすぐ下り坂が伸びるアーケード街の両脇に、熱海名産のひもの屋に加えて温泉まんじゅうを売る店がずらりと並んでいる。これも昔からの風景である。

もう一軒、温泉まんじゅうの店があったが、こちらは何故かルーマニア国旗があちこちに飾られていて異様な雰囲気です。ああそうか、そうか、そうなのか。

熱海の市街地をうろついていると、何箇所か熱海温泉の源泉が吹き出ているちょっとした噴水のようなモニュメントを見かける。無色透明の湯に触れて、少し舐めてみると若干しょっぱい。

しかし日が暮れてしまうと、昼間の活気とは打って変わって商店街の人通りはすっからかんになる。だいたいの飲食店は夜8時か9時を過ぎると閉めてしまう。ここは温泉街でも至って「表の顔」なので、夜が更けるのは非常に早いのだ。

平和通り名店街と並行するように、駅前からもう一本のアーケード街「仲見世商店街」がある。こっちは昔ながらの土産物屋やひもの屋が多い。

仲見世商店街の路上には、日本を放浪しながら切り絵画家として数々の作品を残した山下清画伯の熱海の風景が印刷された紙が飾られていた。山下清画伯の描いた熱海はおそらく昭和30年代のものだろうか。ちょうどこのくらいの時代が街が最盛期だったと思われる。

商店街の脇に潰れたパチンコ屋の廃墟があった。それも今どきのDQN集客装置のギラギラしたパチンコ屋ではなく、昔懐かしいスマートボール場のそれを想起させるような佇まいの店だ。

そこには店主による閉店を知らせる貼り紙がぽつんと貼られていた。「トキワホール」という名前のパチンコ屋。昔のパチンコ台が置かれている事で一部のマニアには知られていた店だそうだが、近年になって閉店を余儀なくされたようだ(→詳細

駅前商店街を後にし、さらに下り坂を降りながら熱海の中心市街地へと近づいて行くことにする。

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