真冬に行けば鬱度もアップ!福井県を代表する鬱観光名所「東尋坊」とレトロ展望台「東尋坊タワー」

福井県

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自殺志願者の最後の防波堤として機能している「救いの電話」は東尋坊北側の松林の他、南側にももう一台設置されている。それも土産物横丁の立ち並んでいるすぐ真下の位置だ。

横殴りの海風に煽られて付近の雑木林と一緒に雪だるま同然の姿を晒している電話ボックス。あれが「救いの電話2号」。こちらは1号に遅れて1982年に設置された。

見たところ何の変哲もない電話ボックスでしかない訳だが周りに何もない場所にこの電話ボックスだけがポツンとあるので、見た目にもかなり異様な感じがする。

別に死に急いでいる訳ではないが、電話ボックスの中に入ってみた。普通の公衆電話機がある横に、何かが入っている木箱や、その他色々な物が置かれている。

すっかり朽ち果てた置物は故郷を思い起こさせる為の演出なのか。東尋坊の名が刻まれた、だるまの神輿。勝手に飛び降りて死ぬのは一人だが、残された家族がいるのだ。

「よーく考えてみさっしゃい!」と方言で書かれていた木箱は掲示板のような役割を果たしていた。他にも自殺志願者を食い止めたいとお節介焼きな人々のエールが刻まれていたり人間模様が様々だ。

数々の言葉が刻まれた木箱。「生きていれば必ず良い事あるから」この言葉で我に返って救われる人がいても、やはり救われない人もいるのだ。

電話ボックスの上には度数の残った「命のテレホンカード」が善意の第三者のもと切らす事なく置かれている。今どきテレカなんて時代遅れだけど東尋坊ではどっこい役に立っている。

他にも「NGO月光仮面」を名乗る人の名刺もある。これは個人ボランティアで生活保護申請を支援している永平寺町の男性の名刺らしい。

日本で最も有名な「自殺の名所」は最後の最後で命綱がしっかり用意されているのだ。

東尋坊は自殺の名所としてあまりに有名になり過ぎた。死に場所を求めてわざわざこの土地を選ぶ人間の中には、心のどこかで自分を助けてくれる見ず知らずの第三者に救いを求めている人がいるのかも知れない。

本当に死にたいのなら手近な場所を選んで黙って死ぬはずだからな。

それこそ首都圏では日常的に通勤電車に飛び込んで死ぬ人間がいる。大勢の通勤通学客が行き交う中で一瞬のうちに身を切られた轢死体と化しゴミクズのように収容され、次の日からは忘れられるのだ。こういう死に方も迷惑だから止めて欲しいよね。

ところでこの東尋坊にはもう一つの名物があった。「東尋坊のドリャーおじさん」と呼ばれていた人物である。

若い頃から海が好きで遠泳や素潜りにハマったりして何度も溺れかけたりもしたが、ライフワークとして始めた「飛び込み」で最適な場所を探していたらたまたま東尋坊に落ち着いたのだ。

ドリャーおじさんは殆ど毎日東尋坊の断崖絶壁から海に目掛けて「ドリャー」と奇声を上げて飛び込み、あの崖っぷちを自分の手足でスイスイよじ登っては何度も海に飛び込むという、傍から見ればキ◯ガイかと思える行為をこの土地で続けていた。

それは図らずも東尋坊で飛び込み自殺を企てる人々の前に「飛び込んでも簡単に死ねないもんなんだよ」という事を身体を張って証明していたのだ。

何故東尋坊に飛び込むのかの問いに「男のロマン」と答えていたおじさん、自分の中で東尋坊への飛び込みを1日100回、通算2万回というノルマを課していたそうだが、歳で腰を痛めてリタイアしたらしい。

現役時代のドリャーおじさんは1989年に放送された映像が収録されている「探偵!ナイトスクープVol.6」を、リタイア後の本人へのインタビューは都築響一氏の本に掲載されているので、各々参照されたし。

死者の世界を垣間見てなおさらこの寒波の暴風雪に晒されたら生きた心地がしないので、さっき通った「やまに水産」で飯を食う事にした。観光地にありがちな団体客歓迎のボードにはなぜか「情報ライブミヤネ屋」の名前が…

今の時期にしかないと店のおばちゃんから猛烈プッシュされた子持ちセイコ蟹をふんだんに使った「せいこ丼」を豪勢にも食べてしまった。3150円也。いろんな意味で北陸の海の栄養をたっぷり蓄えた子持ち蟹は非常に濃厚で味わい深い。お口直しに生きた心地を気の済むまで噛み締める。こんな冷たい海に飛び込んで蟹の栄養分になりながら死にたくはない。

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