戦争遺構

沖縄離島

【沖縄復帰50年】慶良間諸島・渡嘉敷島に残る戦争遺構の数々と「アリラン慰霊のモニュメント」を見てきた

今年2022年は「沖縄返還から50年」という節目の年である。昭和47(1972)年5月15日、それまでアメリカ合衆国の統治下に置かれていた沖縄の施政権が日本に返還された。そういう事もあって、NHKの朝ドラも10年ぶりに沖縄が舞台となっている...
沖縄離島

癒えぬ沖縄戦の傷痕…米軍基地と戦跡の島「伊江島」の団結道場を見てきた

沖縄本島北部の本部町沖合、ちょうど「沖縄美ら海水族館」がある海洋博公園付近からも見える、中央に小高い岩山がツーンとそびえる独特の形状をした離島…そこがこれから向かう「伊江島」である。本部港から1日4往復、片道30分の村営フェリーが出航してい...
長崎県

軍港佐世保の台所!防空壕の中に店がある「とんねる横丁」と戸尾市場

長崎県佐世保市。呉や横須賀、舞鶴などと同じく海軍の街として栄え、さらには戦後は米軍基地が進出してきた街で、歴史的にも色々とんがった感じがする土地なのだが、最近この佐世保で起きた女子高生による同級生殺害事件が世間を騒がせていて、10年前のネバ...
宜野湾市

話題のオスプレイも丸見え!普天間基地が見渡せる「嘉数高台公園」へ行こう 

米軍基地の存在は今の日本、とりわけ数多くの基地を抱える沖縄に残る最もシリアスな問題の一つである。敗戦を機に日本はその軍事力を放棄し代わりに米軍が居座る事で皮肉にも軍事的な抑止力が機能して平和を保っているという状態だが、反米極左プロ市民が湧い...
本島南部

沖縄戦争遺跡巡り・南城市「糸数アブチラガマ」

沖縄本島南部の戦跡巡りも細かな所まで回ろうとするとかなりのボリュームになってしまいキリがないのだが、最後に訪問したいと思ったのが「糸数アブチラガマ」と呼ばれる洞窟だ。沖縄では自然洞窟を「ガマ」と呼び、本島南部を中心に約2000箇所存在してい...
本島南部

沖縄戦争遺跡巡り・糸満市摩文仁「沖縄平和祈念公園」

糸満市街地から国道331号に沿って本島南部の戦跡巡りをすると、喜屋武岬、ひめゆりの塔に続いて糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園へと辿り着く。 沖縄戦で日本軍が組織的抵抗を続けた末、摩文仁の地下壕において軍司令官の牛島満が割腹自決し、日本軍の抵抗...
本島南部

沖縄戦争遺跡巡り・ひめゆりの塔

沖縄本島南部の戦跡巡りをしている中で必ずと言っていいほど立ち寄る場所、むしろベタな沖縄観光の定番コースにまでなってしまっている感のある「ひめゆりの塔」にも、ひとまず足を運ぶ事にした。 那覇から糸満市街地を抜けて戦跡巡りのメインルートとなる国...
本島南部

沖縄戦争遺跡巡り・喜屋武岬スーサイドクリフ

沖縄本島南部の戦争遺跡巡りが続く訳だが、本島最南端と言われる喜屋武岬も一度訪問してみたかった場所の一つだった。もっと遠いものだと勝手に思っていたがそうでもなかった。那覇市街から車で1時間足らずで着いてしまう。 糸満市街地を抜けてひめゆりの塔...
本島南部

暗闇の洞窟の中に野戦病院が…陸軍病院南風原壕群20号を見学する 

那覇市郊外の南風原(はえばる)町、ここにも数多くの沖縄戦の戦跡が残されている。その中でも南風原町喜屋武にある沖縄陸軍病院南風原壕群20号というのは、つい最近の2007年6月から一般公開されるようになったので、見に行く事にした。
本島南部

壮絶な沖縄戦の爪痕…豊見城市「海軍壕公園」の地下壕を見る 

この沖縄に旅行に来た人間には那覇の街歩きなどと共に必ず一度は廻る場所がある。沖縄戦の戦跡巡りだ。太平洋戦争末期、アジアの要石と言われ軍事的にも重要な位置にある沖縄本島を制圧し本土攻略の中継基地とするためアメリカ軍が上陸し、1945年3月26...
長野県

無断放置の千羽鶴と偏向教育の現状…長野市・松代大本営跡「象山地下壕」 

長野市郊外に松代という街がある。江戸時代には松代藩の城下町として栄えた小さな街で、表向きには歴史的な街並みを散策する観光地として知られている。
長野県

【国家中枢機能移転?】太平洋戦争の本土決戦に備え長野市に作られた「松代大本営跡」が本格的過ぎて身震いした

終戦間際、追い詰められた日本がいよいよ迫る本土決戦に備えて、国家中枢機能を極秘裏に移転させるべく9ヶ月間に渡り突貫工事で作り上げた地下坑道「松代大本営跡」。その存在にただただ驚くばかりだが、それよりもプロ市民や偏向教育を行う一部の教育関係者...