沖縄戦争遺跡巡り・糸満市摩文仁「沖縄平和祈念公園」

糸満市街地から国道331号に沿って本島南部の戦跡巡りをすると、喜屋武岬、ひめゆりの塔に続いて糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園へと辿り着く。
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沖縄戦で日本軍が組織的抵抗を続けた末、摩文仁の地下壕において軍司令官の牛島満が割腹自決し、日本軍の抵抗が終結した6月23日を「慰霊の日」としてここ平和祈念公園で沖縄県主催の戦没者追悼式が行われる。
この日は沖縄県では「公休日」扱いとなっていて役場や学校など公的機関は祝日と同じように休みを取る事になっている。この「6月23日」の存在は内地ではあまり知られている話ではない。同じ日本という国の中の歴史を共有する出来事なのに、沖縄とそれ以外で温度差がある形になっている訳だ。


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かつての激戦地であり、さらに沖縄戦終結の地でもある摩文仁の丘は、現在では綺麗に整備されただだっ広い公園に姿を変えている。駐車場から公園内までのアプローチを見るだけでもかなりの広さが実感出来る。
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駐車場に近い公園の一角に土産物屋が固まっている。ここも「ひめゆりの塔」同様、ちょっとした観光地気分なテンションを放っている。1軒だけでなく似たような土産物屋が複数あって、それぞれ自販機まで個別に置かれている。向かいにはおばあが店番をする献花販売店もあった。
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平和祈念公園の中を歩く。広い公園の中には沢山の慰霊施設や塔が点在している。これらを見るだけでもかなりの時間が掛かる事だろう。「戦跡国定公園」という位置づけの公園は日本中探してもここだけだ。
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公園の高台上には「沖縄平和祈念堂」。高さ45メートルの白い慰霊塔。
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公園の奥へと進んでいくと、その先には喜屋武岬と同じように断崖絶壁が迫っている。その崖を目前にして沖縄戦で散った数多もの犠牲者を弔う慰霊碑「平和の礎」が向き合っている。
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デイゴの木が植えつけられた丘に屏風のような形に並べられた幾多もの石碑には沖縄戦の犠牲者名が都道府県別、沖縄の市町村別にずらりと記されている。時折訪れる人の姿はかつての沖縄戦で親兄弟を亡くした人々だろうか。
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この平和の礎に記される犠牲者の名前は軍人、一般人、そして国籍の区別なく約24万人。わずか3ヶ月間でそれだけの数の人間が命を落としている。そのうち沖縄出身者の犠牲者数は資料の記述により12万~15万と開きがある。実態は未だに全容を掴めていない。
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1995年、沖縄戦終結50周年を記念した建立され、現在も追加で刻銘されている。
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刻銘された犠牲者の名前には米軍側の軍人の名前も多数刻まれているのが見られる。日本軍も約9万人が戦死したが、実は米軍サイドも約12500人が戦死しているのだ。それだけ激しい戦闘だったという事だ。
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無数の慰霊碑が海を見下ろす崖上の一点に向き合うように並んでいる。その中心には地球を象った水が張られたモニュメントがある。その中心には沖縄本島。ここもやはり観光客の姿が多かった。
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喜屋武岬などと同じくこの摩文仁の丘からも沢山の人間が追い詰められて飛び降りて死んでいった。崖下には未だに遺骨が眠っているらしいが、中には不発弾も残っているらしい。
糸満市を中心に沖縄では「鉄の暴風」を呼ばれた激しい砲撃の末に残った不発弾が未だに存在し、爆発事故で怪我人が出る事もある。不発弾処理は戦後65年過ぎても終わる事がない。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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