壮絶な沖縄戦の爪痕…豊見城市「海軍壕公園」の地下壕を見る 

この沖縄に旅行に来た人間には那覇の街歩きなどと共に必ず一度は廻る場所がある。沖縄戦の戦跡巡りだ。太平洋戦争末期、アジアの要石と言われ軍事的にも重要な位置にある沖縄本島を制圧し本土攻略の中継基地とするためアメリカ軍が上陸し、1945年3月26日から6月20日までの約3ヶ月間行われた地上戦だ。

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慶良間諸島を踏み台に読谷、北谷から本島に上陸した連合軍は徐々に那覇へ南下し、5月末には日本軍の総司令部があった首里城を占拠、劣勢となった日本軍は本島南部に前線を引きながら連合軍の激しい掃討作戦に対峙し続けた。その後沖縄本島は南北に分断され、泥沼の地上戦により大勢の一般市民や兵士が犠牲になった。

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まず最初に訪れたのが那覇市小禄と豊見城市の境目あたりにある海軍壕公園である。ここは大日本帝国海軍司令部、海軍司令部壕があった場所だ。沖縄戦の続く1945年6月初旬に小禄付近にアメリカ軍が侵攻し、孤立した海軍が包囲された末に司令官及び幕僚一同は集団自決した。

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この海軍壕公園では当時の沖縄戦で使われていた地下壕の内部が見学出来る。殆ど当時のまま残されている為非常に生々しい。海軍司令官大田実を始めとする海軍や一般住民の戦没者慰霊碑が公園の各所に置かれていた。

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小禄の高台に置かれた海軍壕公園のビジターセンター。地下壕を見学する場合はここから入る事になる。入館料420円、開館時間は朝8時から夕方5時まで(7月から9月までは開館時間が30分遅くなる)

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資料室などを一通り見てから地下壕の入口へと進む。両側の壁には大量の千羽鶴が掲げられていた。戦争と平和をテーマとする施設には殆ど必ず見かける光景だが…

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地元沖縄を始めとして全国の学校の名前が書かれていると思いきや、意外に新興宗教団体の名前が書かれた千羽鶴も目立つ。

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地下壕へ続く狭い階段をどんどん降りていく。途中には「現在地点入口から12.5m」の表示。当然ながら外部からの砲撃を防ぐ為に地下深く掘られている訳だが、空間の圧迫感がこの時点で既に強い。

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やがて地下壕へ辿り着く。ひんやりとした空気が身体を包む。しかし沖縄戦当時はこの狭い地下壕に大勢の人間がひしめき戦死の恐怖と対峙し続けていた。

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坑道は全長450メートル程度あるそうだが現在は観光用にそのうち300メートル程度の部分が公開されている。張り巡らされた坑道にいくつかの重要な部屋が連なっている。

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その地下壕のメインとなる坑道。まっすぐほぼ一直線に続いている。1944年10月10日の大空襲以降、沖縄侵攻が現実的になった事もあって約3000名もの人員を割いて突貫工事で作られた。当時は最高軍事機密だった為、地下壕の建設は外部には一切知られる事がなかった。

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一つの部屋に入ってみる。作戦室。ここで海軍司令部が作戦会議を練っていたらしい。こうした部屋は砲撃に耐えられるようコンクリートと漆喰で壁を補強しているのが見られる。

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作戦室を出て奥の通路へ。戦時中の突貫工事で作られた壕の中は場所によって壁がコンクリートだったり、地肌が剥き出しになってツルハシで掘削した跡が見られたりとまちまちである。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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