暗闇の洞窟の中に野戦病院が…陸軍病院南風原壕群20号を見学する 

那覇市郊外の南風原(はえばる)町、ここにも数多くの沖縄戦の戦跡が残されている。その中でも南風原町喜屋武にある沖縄陸軍病院南風原壕群20号というのは、つい最近の2007年6月から一般公開されるようになったので、見に行く事にした。

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とはいえこの戦跡は有名なひめゆりの塔やら海軍壕公園などとは違って、何の変哲もない野球場や運動競技場などがある黄金森公園の一角にぽつんとあるのみだ。さらに見学にも南風原文化センターに連絡して人数や来場時間を伝えて予約を取る必要がある。

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南風原町の中の人に連絡を取って黄金森公園の場所を教えてもらったが、辿り着くと野球場の脇には少年野球チームの一団が真っ白なユニフォームに身を包んで練習に励んでいた。はて、どこに地下壕があるのやら?

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…などと狐につままれたような気分になりながら公園を歩いて行くと、公園奥の森に沿って案内看板が括りつけられているのが見えた。これから見学する20号壕はこの先にあるらしい。

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地元民が集まる野球場を横目に見ながら公園の中を進んでいく。沖縄のどこに行っても子供達は野球をしている。サッカーよりも圧倒的に野球が好き。沖縄の甲子園熱はただものではないからだ。

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試合を真剣に見守る少年野球チームの親御さん達。その光景も平和だからこそのもの。すぐ傍らにある黄金森の中には、今も沢山の犠牲者と歴史が埋められた悲しき沖縄戦の痕跡が生々しく残っている。

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黄金森の山の斜面には「◯◯号壕」と目印が付けられた横穴群、もしくはその残骸が今でも視認出来る。

1944年10月10日の大空襲で沖縄陸軍病院の院長、軍医、看護婦や衛生兵らが那覇市街地から焼け出され、南風原分院があったこの土地に避難し、米軍の侵攻を避ける為、黄金森の山中に30近い地下壕が掘られたのだ。

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南風原壕群は戦後65年経過した今でも充分な発掘調査も行われておらず、落盤するなどして山中に埋められた地下壕の中にはこうした医薬品の数々や人骨などが未だに埋まっているものと見られている。

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しかしこんな所にまで何の脈略もなく亀甲墓があったりするのが沖縄独特な文化である。戦跡とは無関係なのだが、亀甲墓を発見する度に無意味に興奮してしまう。こんな墓は内地と呼ばれる日本本土ではまず見られないからな。

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しばらく道なりに歩くと、南風原文化センターの管理人室と隣接して見学可能な20号壕の入口が姿を現す。我々が訪れると中年女性のガイドが出迎えてくれた。見学は一般個人で300円、公開時間は朝9時から夕方5時まで。

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管理人室の前には箱に詰められた「爆弾の破片」がそのままの形で置かれていた。「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦の熾烈な状況下で、落ちてきた爆弾の爆発や飛び散った破片で大勢の死人怪我人が出たのだ。

「持って頂いていいですよ」との事で、触ったり持ったり出来る。どの破片もずしりと重く、鋭利な面がある。こんなのが飛んできたらひとたまりもない。未だに黄金森の辺りではこうした爆弾の破片が沢山取れるらしい。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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