暗闇の洞窟の中に野戦病院が…陸軍病院南風原壕群20号を見学する 

本島南部

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南風原文化センターの職員であるガイドの同伴で、ヘルメットと懐中電灯を持ってこの20号壕の中を見学する事となる。約20~30分掛けて壕内の様子や南風原壕群が出来た経緯、避難中の生活や外科手術、被害状況などを聞く事が出来る手筈になっている。

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壕の入口にもこの20号壕に関してかなり詳しい説明書きがなされた案内看板が設置されている。沖縄陸軍病院として使われていた地下壕のうち、20号壕は「第二外科」が中心的に使っていた壕となる。病室だけでなく手術場もあり、大怪我をした一般人や兵士などが次々担ぎ込まれ麻酔なしで手術が行われたという。

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だが壕の中に入る前にガイドの女性に案内されたのは管理室の向こうにある高台の広場だった。ここでまた、沖縄戦の熾烈なエピソードを聞く事になる。

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広場の中程には何やら石碑やモニュメントが置かれた一角がある。我々はそこへと案内された。ガイドの女性は表情険しく、昔この場所は暗い森の中で、爆撃で両足を失った傷病兵が這いながら陸軍病院を目指したという話を始めた。

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そのエピソードそのままに詩が刻まれた石碑が、3つ並んだオブジェの一番左側に置かれている。

「鎮魂 額づけば 戦友葬りし日のごとく 夜明けの丘に 土の香匂ふ」

「両の足失なひし兵 病院を探して泥道 這ひずり来たる」

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そして右側の石碑は…「憲法九条の碑」だった。この時点で左翼サイドの何らかの政治的バイアスが掛かっているのは間違いないと思った訳だが、地上戦の熾烈だった沖縄では殊の外お花畑な憲法9条教が浸透している。

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独占的な地元紙2紙の論調もサヨサヨ全開だし、沖縄では反戦平和を隠れ蓑にする極左プロ市民に異を唱える余地すらない。ここは素直にガイドの話に耳を傾ける普通の一般ピープルに徹した。そして中央にある「鎮魂と平和の鐘」を鳴らしてください、とお願いされてしまう。

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黄金森の高台の丘に、鎮魂と平和の鐘の音が高らかに鳴り響く。平和の希求は共通の思いだが、どうもこういう場面に出くわすと違和感が拭えない。もっとニュートラルに沖縄戦の事実を語ってくれる人はいないものかね。

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その後で20号壕の扉が開かれ、見学者は内部へ立ち入る事を許される。入口付近に埋められた瓶入りの医薬品類が沢山置かれていたりのっけからヤバイ。内部は殆どまっすぐな坑道が奥に70メートル伸びていて、途中で隣り合う19号壕と21号壕に繋がっている。

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内部は真っ暗過ぎて写真撮影すらままならないので、ここからは文章で説明する。

地下壕内は粗末な手掘りのトンネルになっていて落盤防止用に樹脂が壁に塗り込められたり、支柱が足元を残して焼け落ちていたり生々しい。米軍の火炎放射攻撃を受けているので坑道入口辺りは壁が黒ずんでいた。

坑道中程の十字路で麻酔なしの手術(主に四肢切断)が行われていたという。想像を絶する世界だ。

十字路の右側、21号壕へ繋がっていたはずの部分は看護要員として従軍していたひめゆり学徒隊が寝泊りしていたらしい。

反対側の19号壕へ繋がっていたはずの通路(落盤で行き止まりになっていた)でおもむろにガイドに「ここで灯りを消して、当時この地下壕で生活していた人々に思いを馳せて、共に祈ってください」とお願いされるので、ヘルメットにつけていた懐中電灯を消灯する。まさに暗闇の世界だ。

他にも壕内には朝鮮人がいたとされる「姜」の文字や、さらには他の地下壕の数々、文化センターの展示室などと見所がかなり沢山ある。我々は駆け足で回ったので全て見られた訳ではないが、本島南部の戦跡巡りの中では最も生々しい体験が出来る場所に違いないだろう。


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