長崎県佐世保市。呉や横須賀、舞鶴などと同じく海軍の街として栄え、さらには戦後は米軍基地が進出してきた街で、歴史的にも色々とんがった感じがする土地なのだが、最近この佐世保で起きた女子高生による同級生殺害事件が世間を騒がせていて、10年前のネバダたん事件もあって、この街は呪われてるのか云々言われもするが、あのジャパネットたかたの本社があるというのが自慢できる要素でもある。
佐世保市街地の四ヶ町商店街にも程近い、国道35号線を挟んだ向かい、戸尾町の一画に「とんねる横丁」と呼ばれる場所がある。隣接する戸尾市場と共に街のお買い物スポットの一部を形成しているが、特徴的なのがそれぞれの店舗が「元防空壕」な事だ。
魚屋とか蒲鉾屋とか、生鮮食品店が多いのが特徴のとんねる横丁、妙にホルモン屋が多いのも気になる。やはり隣の戸尾市場も似たような感じなので、パッと見は元防空壕だと気付きにくい。しかし一軒一軒の軒先をよーく見ると気づくはずだ。戦後の昭和23(1948)年からずっとやってるらしいですよ。
場所柄、観光客向けな佐世保バーガーのお店なんかもあるのがご愛嬌。今のようにご当地グルメのアピールがうるさくなかった頃からあった気がする代物だが、同じ海軍の街である横須賀にもどこか後付け感がする「ネイビーバーガー」ってのがありますよね。
で、そのままとんねる横丁から続いている「戸尾市場」。佐世保の台所と呼ばれているそうで市内随一の生鮮食品市場が連なる一画。四ヶ町商店街と合わせて市民がお買い物しまくるような場所だが、やはりオールド感は拭えず、客層がすこぶる高いのが特徴。
そんな戸尾市場、廃校になった旧戸尾小学校(現・佐世保空襲資料室)を取り巻く形で崖下の土地にへばりつくように連なっている。長崎市ほどではないが、佐世保も「坂の街」である事を実感。そして相変わらず行き交う人々は高齢者ばかりである。
この戸尾市場の界隈は戦前から市場が形成されていて、軍港たる宿命か「佐世保大空襲」で壊滅させられてしまい、その後勃興した闇市から発展して今に至るという。まあ雰囲気的にも納得できますわな。防空壕跡を市場に転用する真似も他ではなかなか見かけられんし。
昭和の時代から変化を拒んでいるかのような佇まいに息を呑む。九州の市場もハイクオリティで個人的には大好物なのだが、残念ながら戸尾市場は2012年3月に大規模な火災に遭い、市場の協同組合が解散するまでに至った。よって現在は市場の規模も縮小してしまっている。
2012年の火災で丸焼けになった市場跡。結局再建される事にはならないようで、跡地は普通にマンションとかでも建ちそうな感じである。
オールドマーケットにはありがちな大雑把な風景。市場には公衆便所も整備されていて、まあ割に綺麗な作りなのだが、その入口に野菜を並べて販売する八百屋さんとかあって東南アジアチックで素敵。
あとは北側にある「エプロン市場名店街」というビルインタイプのこちらの市場も2011年3月末で閉鎖。やはり時代の流れには逆らえないんでしょうかね。このビルの向かいには2005年8月末までダイエー佐世保店もあったそうだが、ここも現存せず跡地はマンションになっている。
年季の入った西海市場協同組合事務所の入口。沖縄空手の道場なんかもあるそうですよ。ちなみに西海市場というのは戸尾市場を構成する市場の一つの名称で、エプロン市場が入っていたビルの外面に連なる部分がそうらしい。しかもここいらは暗渠化した小佐世保川の上に建っているという。
で、とんねる横丁に残る老舗の「四軒目食堂」に朝飯を食いに来た。とんねる横丁ができた昭和23(1948)年からの創業である。店の中に入ると元防空壕なのが丸わかりで蒲鉾型の丸い天井がそのままくっきり残る。
元防空壕は意外に奥行きがあって、外から見る佇まいとは裏腹にキャパシティは広い。一番奥には座敷の席もありしっかり足を伸ばして寛げる。創業当初のとんねる横丁の元防空壕店舗は殆どが食堂だったらしい。
まあ、元防空壕店舗というのもユニークだし情緒もあるので、すっかりテレビや何やらで紹介されている有名店になっているようで、芸能人のサインがずらーり。また「まいう~」が居やがる…
四軒目食堂にて、朝の8時から食える「ちゃんぽん」の味。濃厚かつ優しい舌触りで、まさに長崎の味といった感じでした。ここんところ何度も「まいう~」の後追いになる事ばかりなのが癪であるが、まあ美味しかったですね。