【国家中枢機能移転?】太平洋戦争の本土決戦に備え長野市に作られた「松代大本営跡」が本格的過ぎて身震いした

長野県

終戦間際、追い詰められた日本がいよいよ迫る本土決戦に備えて、国家中枢機能を極秘裏に移転させるべく9ヶ月間に渡り突貫工事で作り上げた地下坑道「松代大本営跡」。その存在にただただ驚くばかりだが、それよりもプロ市民や偏向教育を行う一部の教育関係者達によるプロパガンダに利用されている感が強く、なんとも複雑な気持ちにもさせられた。

長野県長野市 松代

この場所に来ると象山地下壕だけ見て他の見所を知らずして帰ってしまう人も居そうだが、当然ながら象山地下壕だけが松代大本営跡ではない。当記事では象山地下壕以外の見所を紹介していく事にする。まずは象山地下壕入口に近い場所にある恵明寺(えみょうじ)という小さな寺である。

長野県長野市 松代

旧松代藩・真田家ゆかりの寺という恵明寺境内に入ると、松代藩三代藩主・真田幸道公の奥方で伊達政宗公の孫娘、豊姫の墓(霊屋)が置かれていて歴史マニアには一見の価値アリ。

長野県長野市 松代

ちなみに象山地下壕入口の土地もこの恵明寺が所有しているのだが、一時期地下壕入口付近に栗林忠道中将と今井武夫少将の顕彰碑を置く計画があったものを恵明寺の住職が「顕彰碑をこの地に建てるのは場違い」と突っぱねて設置を断ったというエピソードがある。

この栗林忠道中将も、実はここ松代出身なのである。小さな町なのに本当に有名人が多すぎる。

長野県長野市 松代

墓地に回ると「中野次郎供養碑」と日本語とハングル併記で記された墓が建っているのだ。

隣の「もうひとつの歴史館・松代」に入場した場合、受付のおばさんが暇な時だとおばさん付き添いで敷地の裏手を通ってここまで案内される事もある。

長野県長野市 松代

この中野次郎という人物は朝鮮人で(本名・本籍不詳)工事に携わっていた元西松組に雇われていた技術者であった。戦後の軍部の資料焼却などで具体的な犠牲者が分かっていない中で、ただ4人のみ身元が明らかになっている朝鮮人犠牲者の一人という。

終戦間際には食糧も不十分で、労働者の多くは落盤やダイナマイトよりも栄養失調で死んだケースが多かったと言われている。

長野県長野市 松代

第二次大戦末期、極秘の国家中枢機能移転計画があった

恵明寺を離れて車で少し移動する。松代大本営跡というのは一般公開されている象山地下壕だけが全てではない。周囲にある舞鶴山、皆神山などにも同じように地下壕が掘られている。

松代大本営は舞鶴山(ロ地区)に大本営と皇居を、皆神山(ハ地区)に皇族の住居や食料庫を、そして先程見学した象山(イ地区)には政府機関とNHKを移転させる予定だったのだ。

象山地下壕だけでもお腹いっぱいなのに、まだそんなに地下壕を掘りまくっていたのか。まさしくそれは戦争の狂気である。

だが昭和天皇は最後の最後まで東京を離れるつもりはなかったと言われ、この大本営移転計画も天皇の指示もなく軍部の勝手な独走で始まったものだという話を聞いた。戦後に長野を訪問した昭和天皇は「無駄な穴を掘ったのはどの辺か?」と当時の長野県知事に質問した程だという。

「日本の中心で内陸部だから攻め込まれにくい、地盤も固いし、秘密基地を作るには最適だ、信州は神州に通じ、縁起が良い」などとして追い詰められた軍部はここ松代を選んだ訳だが、暗い穴ぐらの中で死んだ労働者はさぞ浮かばれん。だがそれが戦争というものだ。

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象山地下壕から2キロほど南に離れた場所まで来た。皇居を置く予定だったという舞鶴山のふもとには、確かに現在も地下壕の入口がぽかーんと口を開けて佇んでいる。

長野県長野市 松代

昭和天皇本人が「無駄な穴」とご発言あらせられた舞鶴山の地下壕は、現在気象庁の地震観測室としてきっちり有効活用されているのだ。ここは非公開となっているが、年に2回見学日が設けられているらしい。

長野県長野市 松代

気象庁地震観測室の案内看板。長野市観光課が設置したもの。

「およそ九ヶ月の間に当時の金額で二億円の巨費と延三百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され突貫工事をもって構築したもので全工程の75%完成した。」とある部分におもいっきりステッカーが上貼りされて文言修正が入っている。

どこかの人権屋かプロ市民か何かのバイアスが掛かったのだろうか。「朝鮮人の人々」って日本語はおかしいだろ。「馬から落馬」かよ。

長野県長野市 松代

この舞鶴山の地下壕も全長2.6キロにも及ぶ大規模なもので、中の様子を見る事は出来ないが、ごく一部分だけが地震観測に使われている事が図に示されている。

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入口からは、象山地下壕のときと同じようにひんやりと冷たい風が流れてくる。ひとまずここには入れないので、我々はさらに奥に進んだ場所にある「庁舎」を見に行く事にした。

長野県長野市 松代

地上部分に出ている3つの庁舎は松代大本営建設時に作られたもので、それが終戦後65年経ってまだ残っているというのが凄い。

現在は同じく気象庁の施設として使われているものの、1号庁舎が天皇陛下居室、2号庁舎が皇后陛下居室(地下坑道に通じる通路がある)、3号庁舎には宮内庁職員用の建物として使われる予定で建設されたものというのだ。

長野県長野市 松代

軍部は戦争末期には本気でこの場所に皇居を移すつもりでいたらしい。見た目は普通の建物だが、一トン爆弾が落ちても崩れない程に天井のコンクリートが分厚く出来ていたりと、かなり異様な建築物だ。

世紀末オカルト学院 オフィシャルアーカイブ

今回の訪問では「ハ地区」と呼ばれた皆神山(人工ピラミッド説がある怪しい山、アニメ「世紀末オカルト学院」の舞台にもなって聖地巡礼に訪れるヲタもいる)に行かなかったりと、かなり見逃した場所が多い。

長野県長野市 松代

わずか9ヶ月間だけだが、この松代大本営の工事で沢山の労働者が集められ、その間には飯場の周囲に何箇所も慰安所が出来て、朝鮮人慰安婦が働いていたり(これも例によって「性的労働を強いられた」等の記述がある)慰安所の建物が最近まで残されていたという話を後で聞いて、もう一度じっくり観察に来なければと思った次第。

信州の城下町・松代…いやはや凄い場所である。

参考記事
松代大本営 合意なき建設工事?
松代大本営 舞鶴山地下壕



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