御殿場駅前を離れて、新天地と呼ばれるスナック街を目指す。駅の北西に500メートルくらい離れたところにあるらしい。四つ角に「金明ショッピングセンター」という古びたローカル商業施設が建っている。地方都市的な光景である。
そこからしばらく歩くと富士急行バスの「新橋銀座」と書かれたバス停が現れる。新橋に銀座ですか…東京テイスト満載だよな…でも新橋の読みは「しんばし」じゃなくて「にいはし」なんですね。
だがそんな華やかなイメージが先立つ東京の地名とは裏腹に、バス停の周辺はどうにも時代についていけずに落ちぶれてしまったかのような商店街の残骸が残っている。そういえばここに来るまでの間にもシャッターを閉めたままの潰れた商店がいくつも並んでいた。東京100キロ圏内特有のストロー現象なのか。
「若宮八幡宮」なる小さな神社の鳥居に隣り合って、凄まじい外観の飲食店の廃墟が残っていた。昔はさぞかし立派な大衆食堂だったのかも知れんが、この具合から見ても放置されて相当年月が経ってそうだ。
2階建てで全面板張りの建物はかなり昔からあったものと思える。玄関の間口の広さから見ても大衆食堂や酒場だった可能性は高い。屋号はどこにも看板の類が見当たらず不明のまま。
しかし玄関横の窓ガラスが割れた部分から店内を覗き見る事ができた。何というか凄まじい。神棚やガラスの陳列棚などが残されていて「名代なべやき」と辛うじて判読できる木のプレートが掛かっているのが見えた。やはり大衆食堂の残骸のようだ。
バス通りから少し先のところで路地を北側に入る。するとその先が「新天地」という事らしい。路地に入った途端にその周辺だけスナックだらけで、路地が細くグニャグニャに曲がっている。こりゃ想像以上にキテました。
そして飲食店として使われている、路地に立ち並ぶ建物も例外なく古さが際立っている。この新天地がいつ頃からあるのかあまり詳しい情報に辿り着けないのだが、戦後に進駐軍がやってきた当時には既にあったらしい。
当時は当然ながら米兵向けのバーが多数立ち並び、春を売る店だってあったそうで、米兵と出来てしまい同居するパンパンガールがこの歓楽街に住んでいたようである。まあ雰囲気的には同時期の立川とか朝霞みたいなもんですかね。
一時期はパンパンの街だと蔑まれていた事もあったという御殿場だが、そのうち米兵の姿は街から消え、その後は日本人向けの歓楽街に衣替えした。しかしそれも現在となっては兵どもが夢の跡。随分寂れきってしまい、空き家や廃墟が妙に多い。
しかし米軍は御殿場の地から完全に居なくなった訳ではなく、東富士演習場の一角にある「キャンプ富士」という施設に今でも駐留している。東富士演習場は戦後米軍に接収されていて、昭和43(1968)年に日本に返還されてから自衛隊の演習場となっている。御殿場市内には他にも滝ヶ原、板妻、駒門など陸上自衛隊の駐屯地が密集していて、街と自衛隊とは切っても切り離せない関係にある。
路地に設置された街灯のポールには「新天地会」と書かれたプレートが貼り付けてあった。だいたい「新天地」という名称自体がこの上なく歓楽要素を感じさせてくれるではないか。大いに期待しても良さそうですよ、この一画。