戦後の都市計画で当時の真和志村によって綺麗に区画整理された街路がこの栄町社交街付近にあるが、その中央をやや広いめの十字路が走っている。その十字路の南側にでっかく「栄町社交街」の文字が書かれたアーチが掛かっているのが見える。本来はここが社交街のメインストリートだったはずだが、街路がやけに広いだけで怪しげなスナックや旅館だらけの風景は一本西側の路地よりも比較的落ち着いている。
相変わらず放射能のマークにしか見えない栄町社交街のマークを見ながら福島第一原発の事故と震災でどえらい目に遭っている内地で起きている現実を思い出す。
この沖縄でも店の各所に東日本大震災関連の募金箱が置かれたりしていたが、台風や津波といった自然災害や軍事戦略上の問題を除けば、原発が存在しないという点では沖縄は安全地帯だ。こんなマークにしても「放射能マークだよねこれ」とツッコまれず、沖縄人的には問題ないのだろう。
で、やっぱりちょっと艶めかしい感じのスナックの看板がこちらでも目立っている。色街のスナックには熟女の色香という名のピンク色の放射線が高濃度で堆積している。
このメインストリートにはコンクリート造の建物が目立つ一方でこんな古めかしい木造家屋も残っている。見事にスナックと旅館しかない。むしろ2軒のスナックに囲まれて旅館の玄関が口を開けているのだ。
その向かいにも似た作りの木造家屋が向かい合っている。同じようにスナックと旅館だ。やはりこのボロさを見ても戦後の復興期に建てられたものがそのまま使われているのかも知れない。
それでも遠巻きに見てみるとかなり普通の街並みに変わってしまった感はある。夜訪れても飛田新地のような異様な賑わいも感じられない。既に「場末」の言葉が当てはまる。
で、電柱に目をやると占い屋の広告がベタベタ貼りつけられていたりするのだ。開運・夢がかなう。下手くそな字でそう書かれている。その真上には怪しい金融会社。080金融ですねこれ(笑)こんな電柱の広告を見て占いに縋ったり金を借りたりする人に果たして夢は叶うんでしょうか。
メインストリートから東側の路地はそれほどスナックの数も少なく、既に盛り場としての雰囲気すらない。普通の住宅地になってしまっている。
それなりにスナックの看板も多いけど普通の家の方が多勢になっていた。やはり昔はもっと凄かったのだろう。戦後の那覇の歓楽街は神里原に始まり桜坂や栄町、そして波の上や松山あたりにどんどんシフトしていったのだ。
メインストリートから東側はあまり見る所もないかな?と思っていたがこんな所にも旅館の看板が一軒。栄町だけで何軒の旅館があるんだろう。
むしろ旅館というよりも、この看板さえ無ければ普通の民家と見間違えても何ら不思議ではない。玄関ポストの上には殆ど掠れた文字で「従業員数名募集」と書かれていた。
スナック街の至る所に那覇警察署による「折半営業」云々と書かれた警告看板が貼りつけられている。テーゲー気質な沖縄の色街でも、やはりこういう街は警察に常時睨まれている訳である。真栄原社交街もコザの吉原も潰された今、栄町の将来もどうなることやら。