九州最後の炭鉱・長崎市「池島」 – 島の集落・郷地区にあった商店街と盛り場 

長崎県

2001年に閉山した九州最後の炭鉱の島、長崎県長崎市(旧外海町)にある池島を2013年2月に訪れた。島での滞在時間は3時間程度とかなり慌しく回ったのだが、急激な過疎化の現実と廃墟団地群や商店の数々を見て、「第二の軍艦島」と呼ばれる通り島から人が消えるリアルタイムな光景を目の当たりにした。

長崎市 池島

炭鉱の島という側面だけで見てきた池島だったが、この島は炭鉱開発前から人口350人程度の集落を抱える有人島だった。それまで島の集落は純粋な漁村だったが、炭鉱開発が本格化すると海の水質が悪化して、漁で生活を維持する事が難しくなり、現在この島で漁師は暮らしていない。その元からあった集落というのが高台の下にある郷地区。

長崎市 池島

郷地区の一角には「池島小番所屋敷跡」を示す看板が立てられている。炭鉱の島となったのは戦後の話で、それまでは漁村の島、そしてそれ以前の江戸時代の鎖国政策時には外国船や抜け荷(密貿易)を見張る為の番所があった島だった。この池島を含めて外海地方には番所が多数設置されていた。

長崎市 池島

遠目には昔ながらの離島の集落といった佇まいを見せる郷地区。集落を貫くメインストリートは道幅も細く登り坂になっている。下の部分は純然たる民家しかないが、鉱員住宅群がある高台に近づくにつれ、徐々に歓楽街の様相を呈してくる。

長崎市 池島

閉山前まではこの一画は島を代表するネオン街だった。鉱員の家族が暮らす住宅群から少し離れた立地で、程よく距離を取りながら大人の世界が広がっていたのだろう。だが今となってはそんな街も無人になってしまった。

長崎市 池島

炭鉱の島においても娯楽と言えばやはりパチンコだった。看板が取り外されてしまってはいるが、ここは以前パチンコ屋として営業していた建物だ。

長崎市 池島

その向かいにはお約束の景品交換所。三店方式はこんな離島でも全国共通。パチンコ屋同様に今では廃屋と化しいよいよ荒れ始めていた。

長崎市 池島

一方でアパートだったと思しき建物もある。団地だけじゃなくてこういう場所にも炭鉱関係者が住んでいたのだろうか。例えば下請け業者とか。

長崎市 池島

坂道の両脇にひしめくスナック街。もう完全に無人地帯かと思ったが違うようで、たった一人だけ居た島の住人と思しき老婆とすれ違った。

長崎市 池島

こんな状態になっても一軒だけ営業しているスナックがあるというのだ。元パチンコ屋の廃屋のすぐ上にある「マキ」がそうだ。さすがに島に一泊でもしないと店に立ち寄るのは難しいか…

長崎市 池島

坂道の上の方になるにつれて道幅も細く曲がりくねっている。やっぱり上の方も軒並み廃屋だらけだ。渡鹿野島どころじゃないなこれ…

長崎市 池島

こんな雰囲気の良さげな所に旅館だった建物の残骸があった。「旅館美松」の文字が残る玄関のガラス戸は破られていて、頭上の庇も崩れだしている。近いうちに倒壊するかもな。

長崎市 池島

郷地区のスナック街に繰り出した炭坑夫達は千鳥足でこの坂道を登り家族が待つ団地に帰っていったのだろう。この島で暮らしている限り、それくらいしか娯楽らしいものはなかった訳だ。

長崎市 池島

廃屋の窓ガラスが割れた隙間から中を見ると…昭和40年代くらいの古新聞の端がちらりと見えた。どうやら風邪薬の広告だ。かぜの季節です、だって。

長崎市 池島

郷地区の集落のてっぺんまでやってきた。ここから少し歩けば新店街通りがあり、鉱員住宅群が立ち並ぶ一画が広がっている。路線バスはここから郷地区には直接車で入れないので、一旦脇から伸びる車道を回り、火力発電所の手前あたりにある道から入っていく。

長崎市 池島

しかしよく見ると耕作地帯もあるしまだまだここに住んでいる人がいるのは確かなようだ。軍艦島のように閉山後すぐに無人化しなかったのは、池島炭鉱が海外人材研修施設になった事に加えて元からの集落の住民も居た事もあるのだ。仮に炭鉱が完全閉鎖になったとしても無人島になる事は当分ないだろう。

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九州最後の炭鉱・長崎市「池島」シリーズ

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