八戸の陸奥湊朝市で腹ごしらえを済ませた後、朝市エリアを外れて付近の街並みを見て回る事にした。
ここ陸奥湊を始め、両隣の鮫漁港や小中野といった街は八戸市街でも最も旧市街地にあたる一画である。街の各所にレトロを通り越していつの時代のものなのか良く分からない物件が転がっている。
陸奥湊朝市を出た先に掛かる湊橋の向こうは小中野地区。明治時代に作られた遊郭があった場所として名残りを留めている町だが、そこは後ほど。陸奥湊駅のある湊町と小中野の間を流れているのは新井田川である。
湊橋のたもと付近には何軒か個人経営の居酒屋やバーが見られる。
その隣には「新橋市場」と書かれた市場の跡が残っている。シャッターが閉まったままで営業している様子は全くない。昔はこの辺も市場が栄えていたのだろう。
その正面には青森県人御用達の地銀「みちのく銀行」柳町支店。青森県の街に来ると銀行がマジでみちのく銀行か青森銀行しかない。
シャッターを閉じたままの新橋市場から向こうにはJR八戸線の高架が走る。1時間に1本のペースでやってくる電車をたまたま見かける事が出来た。
その高架の向こうにも市場の名残りを留めるかのように商店が続いているが、揃いも揃ってシャッターが降りていて全く商売っけがない。
しかしよく見るとキムチ屋だった。
「キムチ大東」の看板だけが目立つ。よもや青森でハングル文字を見るとは思いもしなかったが、ちゃんと韓国人のオモニがキムチを漬けて売っていた店のようだ。しかし今でも営業しているのだろうか。謎である。
キムチ屋の向かいにはトタン板に看板を直書きした味わい深い「清水呉服店」。
みちのく銀行の支店がある場所から南側を見ると、朝市の規模が縮小して概ね店じまいしたような光景ばかりが続いている。
さらにJR八戸線沿いの裏通りに入ると潰れたバラック酒場がずらりと並んでいる光景が見られる。どれも看板を外してしまい営業している様子はない。
店のマスターは一体どこへ行ったのだろうか、古びた扉に貼られたステッカーが昔ここがスナックであった事を示している。
その隣の店も同様、もぬけの殻になってしまっている。それにしても店名を示す看板がどこにも見当たらないのが不自然である。
一番奥の店舗跡はガラス扉の向こうから何やら笹の葉のような枯れ草がびっしり覆い茂っているのが見えて薄気味悪い。廃屋の中で何やら謎の生物が繁殖しているかも知れんな。
眼前には八戸市民の母なる川の一つである新井田川が流れる。河口に近い為か少し磯臭いような感じがする。
八戸に流れる馬淵川と新井田川の二つの川は、ともに源流が岩手県にある。
八戸は青森県でありながら南部藩(盛岡藩など)に属していた経緯から、元津軽藩だった青森県の本体とは相性が悪く、昔から対立が激しい地域。文化も微妙に津軽の青森市や弘前市とは違っている(→詳細)
まあ、津軽と南部の対立は青森県民には常識的なネタなんですが。