福井県坂井市三国町。北前船寄港地として大いに栄え、九頭竜川沿いに商家や廻船問屋、そして遊郭なども軒を連ねていたというのが、それは現在の住所で言う所の三国町神明のこの付近の事を言うらしい。
今では鄙びた港町の路地でしかない風景だが、小さな川に橋が掛かっているのが見える。橋の手前が旧福井藩三国湊で、その向こうは旧丸岡藩滝谷出村となり、かつての藩の境目だった。
この橋の名を「思案橋」といい、その名前は今でもそのままになっている。滝谷出村は三国における一大遊郭で、この橋が遊郭の入口となっていた。
「行こか戻ろか思案橋」…何を思案するのかというとアッチの夜の御馳走は何にしようかなと思案に耽けるという意味であり全国に思案橋と名の付く橋は概ね遊郭と関係している。
アッチの御馳走に女郎の肉が食べたい…と旦那衆が掛けずり込むのが遊郭な訳だが今の三国町の遊郭跡には「思案橋」という名前の焼肉屋がありました(笑)営業してなさそうだけどここ。
三国の滝谷出村遊郭は江戸時代の最盛期には遊女100人程度を抱えていたそこそこ大きな遊郭だったそうだ。今はメインストリートを歩いてもその名残りは殆ど見られないが、300年以上前の話なのでまあ無理もない。
明らかに周りと様子の違う妓楼らしき建物…という訳でもないが、相当年数を経た家屋が当たり前のように並んでいるので別の意味での非日常感が味わえる。
カバーがまるごと外れてしまい中の蛍光灯が丸見え。酷い…焼肉屋「思案橋」のものだった。
軒下に置かれた「用水」と書かれている石造りの天水桶。年季が入りまくっている。こういう天水桶の一つ一つも見逃せない。もしかしたら妓楼の屋号が刻まれていたりしかねないからだ。
その隣にはポツンと酒屋の土蔵が建つ。この付近の建物は普通に戦前の建築物が残っている。
広い間口全面にガラス扉が取り付けられたかつての商店跡と思われる古民家も、いまにも崩れそうな表情で立ち続けていた。
「遊郭跡」という括りで訪れると、面影はもうない。日本の古い港町の原風景がそこに残っているだけだ。
滝谷出村と呼ばれていた三国町神明三丁目の路地。その先には永正寺がある。もはや遊郭跡と呼べるかどうかも微妙な感じだが、これはこれで趣きがあった素敵。
しかし傍らに突っ立っている電柱に書かれていた「ちどり」の屋号はどこの店の事だろう。意味深な匂いがする。