しかし魚志楼の建物を過ぎた辺りからだんだんと街並みがやさぐれて行くのが目に見えてくる。どうやら赤線跡もあったらしい。急に薄紫色の怪しいモルタル壁が現れた。潰れたスナックだろうか。
その建物の開き戸には「大和」とだけ書かれていた。かつてのスナックの屋号だったのだろうか。その扉が開く事は二度と無さそうな気配である。
裏道を抜けると目の前に開けた空き地が現れる。そこから見えるのは…いかにもな感じの怪しいスナック群。しかも見た感じ殆ど全て廃墟である。これは確実に赤線の名残りを感じさせる。
右端のこの一軒だけは辛うじて現役で営業しているような感じだが、普段から営業していたならもう少し店の周りが雑然としていてもおかしくないはずだ。
くすんだモルタル壁、朽ち果てて大きく破れたテント屋根…これでもし営業していたらお化け屋敷並みの恐怖である。
玄関口には黄色い「貸店舗」の看板が見えるが文字がかすれていて読めなくなっていた。商売上がったりといった感じである。
その並びの店の軒並みオワコン状態もいいところである。既に店の屋号がついた看板すらない。
寂れ行く街を象徴するかのようで何だか虚しい。昔は森田銀行みたいな建物がデーンと建つような土地だっただけに、その落差は激しい。
「十八才未満の方入店お断りします」とさりげなく貼りつけられたプレート。玄関脇に掲げられていたはずの店の看板が取り外された跡が見える。
開けっ放しにされた謎の空間。ただのスナック跡なのか、それともガレージなのか…しかしこの間口の狭さでは車は突っ込めず、代わりに自転車が積み込まれている。
そこから先は再びまともな家並みが続く風景に変わる。
曰くありげなスナック街はただ一画だけに小さく固まっていたようだ。
怪しいスナック廃墟を抜けるとその先には元料亭の「たかだや」の建物が残っている。他の建物と比べると普通の日本家屋といった印象。
ここにも三国町が設置した「三国詩歌文学館」の案内板とともに建物の説明が加えられていた。三好達治が愛した元料亭「たかだや」とある。同氏は大阪出身の著名な詩人で、三国町で戦中戦後の5年間暮らしていたそうだ。