【沖縄ダークサイド】沖縄最強の赤線地帯!宜野湾市「真栄原社交街」壊滅後の姿をご覧下さい(2011年)

宜野湾市

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沖縄最強のちょんの間ゾーン、宜野湾市真栄原二丁目に存在していた「真栄原社交街」を訪れて、ただの一軒も店が開いていない現状を目の当たりにした我々取材班。もう遊びようもないよね、と落胆しながらも、半世紀以上続いた伝説の「悪所」の残り香をクンクンと犬のように嗅ぎ回っていた。

真栄原に限らず沖縄の社交街に共通するのが、店の玄関ドアが開き戸にしても引き戸にしても概ねアルミ製になっていること。すりガラスもなく店の中が一切見えないものも多い。さらに一軒一軒店舗の間口も狭いので、外側から店の様子を伺う事は100%不可能だ。

狭い間口に3つ並んだアルミの引き戸。庇からぶら下がった丸い照明がここは赤線地帯ですと自己主張せんばかりだ。かつてはこの引き戸が開け放たれて春を売る女の姿があったことだろう。

扉だけが目立つ建物、そのどれもが二度と開く事のない扉なのか。物静かな路地に自販機だけが暇そうに突っ立っている。

一軒だけ昼間から扉を開け放っているスナックは、恐らく件の営業はしていない。年老いたスナックのママ、もとい「住民」が店舗の中にいる程度。お姉ちゃんはどこにもいません。

さらに古い琉球家屋の平屋建て民家、その1階が引き戸だらけになっている箇所も。見るからに凄まじい。現役時代には日夜入れ替わり立ち代わり女性達が玄関先に並んでいただろう場所。

それらの店の多くには現在「貸家」と張り紙の貼られた光景が目立つ。もう置屋としての営業は認められないので、普通にスナックとして貸し出されているようだが、わざわざこんな場所を選んでまともにスナックを開業する奴などいないだろう。

表向き「飲食店」だけあって、店の玄関先には真栄原社交業組合の会員章、それに「風俗営業」の許可証が店先に掲示されている。

一足早く浄化作戦により壊滅させられた横浜の黄金町は今では勘違いオサレアート気取りの若者の溜まり場として「健全な空間」へと様変わりしている。チャレンジショップ的なバーやカフェなどが立ち並び、見た目には綺麗にはなったが、生々しい戦後史には全て「臭い物に蓋」で済ませる風潮を危惧する。

あと5年くらいしたらこのアンダーグラウンドな空間もめっきりお洒落に改装されてアート気取りの溜まり場と化していたりするのだろうか。まさかね。でもそうならなければ永遠に廃墟のままである。

一部にはマジモンの廃墟と化した家屋まであったりして物凄い。壊滅が明確になった2010年夏以降、真栄原社交街の界隈は放置プレイのまま時間だけが流れている。

ちょんの間地帯にしてもホームレス公園にしても、ゴミ処理場や葬祭場の建設など、あらゆるケースで言えるが、清潔好きのプロ市民連中は不純物を街から排除したらその時点で自己満足して、その先の事など全く考えていない。

目の前が綺麗になればそれでいいと思っているだけ。問題解決後の事に全く想像力が働かないのだ。街に人の営みがあれば街の光と影は一心同体で付きまとう。影は追い払っても決して消える事はなく、よそへ移るだけだ。

画して真栄原社交街から女性の姿は一切消えてしまったが、猫の姿だけは沢山見かけられる。猫も娼婦もどこからともなく現れ、去る時は何も言わずに去っていく。

真栄原社交街を彩っていた女性達はまた沖縄のどこか、もしくは内地に渡って新しい生活を送っているはずだ。人類が滅亡しない限り、男女の営みはあり、春を売り買いする人間の姿は居なくならない。見苦しいからと表からその営みを隠しても、裏側に回るだけで事態はより陰湿で危険なものへとなる。オツムの回路が閉経したフェミカルト団体にはそんな想像力もないのだろうが、こういう気質の人達に下手に権力を持たせるとろくな事にならないね。


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