【沖縄ダークサイド】沖縄最強の赤線地帯!宜野湾市「真栄原社交街」壊滅後の姿をご覧下さい(2011年)

宜野湾市

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アメリカ統治時代を経験した戦後沖縄の裏面史を一手に担ってきた、沖縄独特のAサインバーや特殊飲食街の数々。それらは日本本土が1958年の売春防止法施行後も適用されず、日本返還を迎える1972年まで、独自の系譜を辿ってきた。

本土では飛田新地といった関西の新地を除けば殆ど公然としたちょんの間地帯は表から姿を消したが、どっこい沖縄では真栄原社交街や沖縄市のコザ吉原、さらに那覇の栄町や神里原といった場所で続けられてきた。だがそのどれもが壊滅作戦や高齢化のために風前の灯火だ。

「環境浄化」の大号令のもとで、戦後史を物語るちょんの間地帯は今まさに沖縄から姿を消そうとしている。

沖縄最強のピンクゾーンとして名を馳せた真栄原社交街も訪れてみると路地はアスファルトがボコボコだわ、置屋の建物も古臭くて汚いわ、飛田新地のような非日常的な色街の情緒をイメージして来ると面食らう事間違いない。横浜黄金町の京浜急行のガード下のような陰鬱な暗黒街のイメージの方が真栄原は近い。

どの店も非常に間口も狭く玄関も小さい。表向きは飲食店を標榜しているようだが当然ながら実態は違う。カフェというかカフエーですね。わかります。

潰れた店の中から持ち出されたのか、店先に無造作に捨てられたソファー。かつてはこのソファーの上で男女が縺れ合っていたのだろうか。

面積からすると100メートル四方もないはずの小さな土地だが、気をつけて回らないと自分がどこにいるのか把握出来なくなる。迷路という程でもないが、路地は細いので飛田新地のように車で回ると置屋の姉ちゃんや客達には顰蹙を買っていただろう。

ちょんの間地帯に置かれた真栄原社交業組合の掲示板。飛田新地料理組合みたいなもんですね。警察の指名手配ポスターなどが貼られている。警察とは持ちつ持たれつの関係だったはずだが、最後はその警察に潰された。

真栄原で働く女性は日本人ばかりで、沖縄出身者以外にも本土から「借金返済のため」に連れてこられた女性も多かったらしい。一部の店には当然暴力団も絡んでおり、時折売防法違反容疑で経営者が逮捕される事もある。

閉ざされた店先には「従業員募集」の看板が未だにあった。昼勤、夜勤とあるのは真栄原が24時間営業だからだ。8時間3交代と考えるとかなりの数の女性が働いていたはずである。

念のため我々取材班も「もしかして開いている店があるかも…」と思って真栄原社交街に昼と夜の二度訪れている。昼間は見ての通りもぬけの殻だが、夜遅くにやってきた時は、数える程だが申し訳程度に開いている店があった。

なので真栄原も100%壊滅している訳ではないらしい。だが普通のスナックに鞍替えしたのかも知れないし、いかにもなお姉ちゃんの姿は見かける事がなかった。

社交街の奥にはやや道幅の広い通りがある。ここも同じように壊滅状態。いくつもガラス戸ばかりが並ぶ建物を見るだけでも明らかにスナックという営業形態ではない。アムステルダムの「飾り窓」を彷彿とさせる。

そんな飾り窓の内側から張り紙が。

「Sorry Japanese Only!!」

日本人以外の客は相手しないらしい。米兵涙目である。もっとも昔とは違って彼らの羽目を外す場所はコザとか北谷とかいくらでもある。

真栄原社交街を壊滅させた「ジョーカー作戦」と呼ばれる警察の浄化作戦が徹底されたのは2009年以降、それからも2011年初頭まではこっそり営業している置屋があったらしい。

その浄化作戦のやり口が結構アレな感じで、警察と「地元の女性団体」とやらが1年間掛けて真栄原社交街内をパトロール。

そして置屋の店先に「売春は女性としてダメ」「人間として恥ずかしい」などと職分や人間性を平然と冒涜するビラを撒いては様々な都合で致し方なく働く女性達に「他の仕事を探しなさい」などと要らぬちょっかいを掛けていたらしい。

これだから極左フェミプロ市民は…

で、なんでジョーカー作戦かと言うと「浄化」に「トランプの最後の切り札」と、まるで真栄原名物ダジャレ看板みたいなセンスである。全然笑えない。

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