鹿児島新港前、本土最南端のコリアンバラック集落「鹿児島市城南町」を歩く 

鹿児島県

大阪の樋之口町、京都府宇治市のウトロ、伊丹中村、川崎の池上町や戸手四丁目…今でも「戦後」の面影を強烈に漂わせる、在日コリアンの末裔が住むバラック集落…それが本土最南端の鹿児島にも存在すると聞いて、鹿児島市城南町という場所にやってきた。そこは朝鮮総連の事務所などもあり、確かに在日韓国朝鮮人が多く暮らしているガチな場所だという。いわば本土最南端のコリアタウンである。

この鹿児島市城南町という場所には奄美や沖縄本島方面への船が発着する鹿児島新港がある。フェリーやコンテナ、椰子の木が立ち並ぶ南国ムード満開な鹿児島新港、背後には桜島がよく見える。いかにも鹿児島って感じです。

かつては琉球群島からフェリーでやってきた奄美や沖縄の人々が仕事を求めて鹿児島新港を経て本土に渡ってきたのだろう。現在それらの人々の集住地はもう少し南側の三和町や真砂本町あたりになる。

フェリーが接岸している岸壁の目前には古びた鹿児島新港の待合所の入るビルがある。ちょうど那覇行きのフェリーが来ているので旅行客などが待合所に押し寄せていた。今となっては奄美や沖縄は飛行機で行くのが普通な時代であるが、昔はフェリーしか無かったのだ。

待合所の中はベンチや受付カウンターくらいで最低限のもの以外殺風景な程に何もなく依然昭和の佇まいを残している訳だが、鹿児島新港のある城南町の位置関係を見るとすぐ西隣があの甲突町だったりする。

待合所の片隅に置かれた昭和テイスト満載な「奄美諸島観光案内」の看板が旅情をそそる。奄美大島や徳之島はともかく沖永良部だの与論だのは完全に沖縄県の方が近い。しかし別に我々はフェリーに乗って奄美や沖縄に行く用事もない。またそのうち乗ってみたいとも思うのだが、取り敢えず鹿児島新港のすぐ近くにあるバラック集落へ向かう。

城南町のバラック集落は鹿児島新港前を走る城南通りを隔てて南北に跨っている。まずはそのうちの北側から攻めこむ事にした。目印は国道225号沿いにあるPCデポ鹿児島店。店舗裏手に回るとのっけから歯抜けだらけの土地に狭小住宅が乱立する光景を拝む事が出来る。

一目見てすぐ気付くのだが、どの家屋も微妙に傾いている。軟弱な地盤の上に建ててそのまま経年的に沈下が進んでいるのが丸分かりな状態である。何故このような場所に家を建てちゃったのだろう。

この傾き具合は家を真正面から眺めるとよく分かる。きちんと土台を作らないとこういう事になる訳で、それにしても何時からこの場所はこうなってしまったのか気になるばかりだ。

そして道なりに歩いていくとのっけから現れる「朝鮮会館」と書かれた建物こそが朝鮮総連鹿児島県本部である。鹿児島県は日本の都道府県で最も在日韓国朝鮮人の人口比率が少ない県なのだが、居る所にはしっかり居るもんだな。ただ見た所空き家同然になっている。

聞く所によるとこの城南町のバラック集落がある土地は鹿児島県が所有する「県有地」となっているらしい。眼前にある鹿児島新港は1960年代に整備されているのだが以前から港湾用地として確保された所に戦後のドサクサか何か知らぬがいつの間にか居座ってしまったという形だろうか。

現在の状態を見てもかなりの割合で廃屋と化した家が目立っている。どれも粗末なあばら屋でひと度地震でもあれば崩落してしまいそうな勢いだ。

在日韓国朝鮮人が集住する場所であるという事だが家の表札などを見ても苗字は日本のものが殆どで、中には奄美や沖縄らしい苗字も見かける。日本の朝鮮大阪民国ならまだしも鹿児島県全体で在日人口500人程度という中でアッチの苗字を名乗り続けるのは大変なのかも知れない。奄美や沖縄など離島出身者への差別が激しかったという鹿児島独特の土地柄だけに朝鮮人への扱いも想像に難くない。

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