沖縄県宜野湾市、那覇からも近くベッドタウンとして人口過密地帯になっている地域だが、市域のど真ん中に米軍普天間飛行場があり、その周囲360度に市街地が取り巻いているという全国的に見ても奇特な街である。当然ながら今なお基地の街としての色彩が強い。そんな宜野湾市を訪れた我々取材班です。
宜野湾市と言ったらどうも元非合法交遊地帯だった真栄原あたりが気になってしょうがないのだが、それだけではない。今回は普天間飛行場の西側一帯にある「大山」を訪れた。同じ大山でも板橋区のド下町の事ではないし雰囲気もまるで違う。ここも国道58号沿いに「MCAS FUTENMA」の文字が刻まれた米軍が設置した赤い碑が見られる。
宜野湾市大山は国道58号沿いに広がる住宅地の一角を成しているが、戦前までは沖縄県営の軽便鉄道が走っていた事もあって、今でも軽便鉄道の線路跡の名残りが僅かに見られたり、米軍基地の入口にはフレンドシップパークがあったり、那覇市内とはまた違った時間の流れを感じさせる街並みがある。今回はこの大山で一泊してきたのだ。
大山の国道58号沿いは「ファニチャーロード」「家具屋通り」などと呼ばれる家具屋密集地帯としても有名だ。沖縄の家具屋通りとは果たしてどんなものかと思ってきたのだが、本土のそれとはかなり違っている。さすが米軍基地の街だけあって「アメリカ家具」の看板を掲げる店が結構多いのだ。特に「Uncle Sam」は1972年から営業している老舗有名店みたいです。
大山のアメリカ中古家具専門店は沖縄勤務を終えて本国に帰る米兵世帯が不要になった家具を売りに来たり、逆に米兵やアメリカ家具好きな地元民が買いに来たりという事で発展してきたそうで、本土にありがちな家具屋街とは随分趣きが異なっている。
沖縄で婚礼家具を買い揃えたりというのは本土同様あるのだろうが、あんまりこの辺の家具屋はそういう商売をアピールしてなさそうなんですね。結婚式は派手で数百人単位でカチャーシーや余興でひたすら踊り回ったりするのが沖縄スタイルらしいんですが、まあだいぶ風習が違ってます。
家具屋はアメリカのものだけではない。中国家具の看板を掲げる店まである。しかも看板が妙に本格的過ぎて中国本土にあるそれと寸分違わぬ存在感を放っている。ここは日本とアメリカと中華圏に挟まれたチャンプルー国家沖縄県。
国道58号沿いにこうした家具屋が数キロ程度延々と点在しているという状況なのが大山の家具屋通り。そのまま国道沿いに行けば嘉手納飛行場のある北谷町や嘉手納町、あとは同じく基地の街であるコザ(沖縄市)とどこを見回しても異国臭が強いコアなチャンプルー地帯が広がっている。
あと大山で異国臭プンプン漂うのがこれだ。赤いレンガの店構えが目印の沖縄ローカルのスーパーマーケット「ジミー」である。創業者が元米軍基地のベーカリー勤めで、宜野湾市で米軍向けのスーパーマーケットを開業したのが始まりとなっている。ここ大山にある本店をはじめ県内に二十数店舗があり、それぞれの店はレストランを併設していたり、厨房でアップルパイ等の洋菓子を製造している。ちょっと高級路線なんですよね。沖縄版成城石井みたいなもん。
さらに大山と言えば有名な沖縄アクターズスクールがある。安室奈美恵やMAX、SPEEDを産んだ伝説的な芸能養成スクールとして一時期は凄かったが、立派なビルにしては人の出入りも少ないし、なんだか地味な印象。景気悪いんでしょうかね。
そんな沖縄アクターズスクールの真隣にある伝統的琉球家屋が元・唯一神「又吉イエス」こと又吉光雄氏が代表を務める「世界経済共同体党」の旧本部だったのは知る人ぞ知る事実。2002年沖縄県知事選挙に落選しその翌年に沖縄を離れて10年、今は東京の高田馬場に本拠を移して選挙戦に臨んでいるが「腹を切って死ぬべき」のフレーズと泡沫候補の域を出る事がないのは昔も今も変わらない。
黄色地に黒と赤字のやたら電波な看板が貼りだされていた広告看板スペースは骨組みだけが残されていた。以前はここによく分からないバイク屋が入居していたのだが、2年経った2013年春に来た時は空き家に変わっていた。ちなみに唯一神は軍用地主なので、その家賃収入で何とか生活と選挙資金をやり繰りしているそうです。