世界遺産「富岡製糸場」のある街、富岡の街並みと二町通りの遊郭跡

群馬県

2014年6月、世界遺産に登録された群馬県富岡市の「富岡製糸場」。一部では世界遺産がモンドセレクション化した等どうたらこうたらケチをつけたがる人もいるようだが、近代日本の礎として、そして紡織及び製糸産業の技術の源になったという意味では世界遺産登録の要件があると認められたのだから、技術大国日本の国民として素直に喜ぶべき事であろう。

富岡市 富岡

そんな富岡製糸場のある富岡市には過去二度訪れている。高崎市の南西側にある人口約5万人の街だ。電車なら高崎から上信電鉄というローカル線に乗って来るか車なら上信越道富岡インターが最寄り。製糸場以外で有名なのは野田聖子(2008年当時消費者相)に「蒟蒻ゼリー規制」でいじめられた蒟蒻畑のマンナンライフの本社があるくらいか。

世界遺産登録「富岡製糸場」とその周辺

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幕末期にお雇い外国人として横須賀製鉄所の製図を担当したフランス人設計師、エドモン・オーギュスト・バスチャンが設計を手掛け、明治初期に建てられたという置繭倉庫など4棟の煉瓦作りの建築物は、現在も富岡製糸場のシンボルとして残っている。世界遺産登録後は見学者が激増していて、もうのんびり見られる雰囲気でも無くなったのかも知れない。

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富岡製糸場自体、片倉製糸紡績会社(現・片倉工業)が昭和62(1987)年まで操業を続けていたので、それまで使っていた繰糸工場にある巨大な自動繰糸機が置かれたラインなどもそのまま見学できる。戦後の大量生産時代に見合った近代的な繰糸機の実物は恐らく日本でもこの場所でしか見られないし、今後二度と同じものが製造される事もないのだ。

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こうしたライン工の現場を見て「あゝ野麦峠」のような女工哀史を思い浮かべたりネット上では「富岡製糸場は元祖ブラック企業だったんだぜ」とドヤ顔で語ってる奴もいるけど、労働関連の法律もまだしっかりしていなかった明治時代にきちんと8時間労働で長期休暇もあったくらいの超優良環境だったんですよ。

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富岡製糸場内には医師が常駐する診療所もあったり、社員の福利厚生はよく考えられていた。「女工」の言葉の持つイメージだけで勝手に語るのは危ないですね。日本の世界遺産登録が増えるのが困るような輩が悪評を振りまきたいだけなのかも知れませんがねえ。むしろ非正規雇用が当たり前の今の大量生産現場の方がよっぽど女工哀史だと思うんですけども、まあそういう話をするサイトじゃないんでこの辺にしときますね。

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しかし2014年2月に立て続けに二度あった異常豪雪で、この富岡製糸場でも築90年以上を誇っていたという乾燥場の建物など4棟が屋根が雪の重みで潰れて全壊、半壊するなどの被害を蒙っている。無残にぶっ潰れた乾燥場がその惨状を晒していた。富岡市では2月15日の大雪で積雪70センチを記録して市内で1人が死亡、市民生活がまる1日麻痺した。

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で、今回富岡に来たのは当然ただの観光ではない訳である。富岡製糸場を始め沢山の製糸産業で栄えていたこの群馬県富岡市、労働者が羽目を外す街並みもかつては存在していたというのを見たかった訳です。それにしてもレトロ建築の宝庫なので、これも合わせて世界遺産の街並みの一部として鑑賞したい。観光駐車場の敷地にぽつんと残る江原時計店の建物は目立ちますね。

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元々は昭和6(1931)年に消防団の詰所として建てられた江原時計店の建物。モダンな洋風建築、屋上に取り付けられた望楼が存在感を放っている。

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DEEPな目線で富岡の街並みを観察する際、特に注目して頂きたいのは、肝心要の富岡製糸場があるすぐ東側一帯のエリアだ。この辺は富岡きっての繁華街で、製糸場が現役だった頃は多くの工員や関係者の姿で賑わっていたという場所。製糸場の敷地に面してスナックの建物が連なっている。

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さらに製糸場の周囲を一巡りすると、廃業した店も多いが沢山の飲食店の建物や銭湯なんかが沢山残されている。塀越しに見える製糸場の建物もまた素晴らしい。

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かつては仕事帰りの工員が飲んだついでに立ち寄っていたであろう、製糸場の角に設けられた公衆便所も入口がくそ狭くてこれまた素晴らしい。

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