石炭の歴史村オープンと同時の昭和55(1980)年に建設された石炭博物館は、以前あった「夕張市炭鉱資料館」から移転されたもので、現在でも日本有数の炭鉱にまつわる博物館として日本の石炭産業の歴史を今に残している。
事前に駐車場にいた職員の兄ちゃんの案内通り、先に石炭博物館で1200円の入館券を買うと「炭鉱(やまの)生活館」もタダで入場出来る仕組みになっていた。化石館の料金表示が消えているのは恐らく金を取るまでもない内容だからだろう。
以前は不人気施設の閉鎖を避ける為にわざわざ「ぐるっとパス」などという抱き合わせ販売的なチケットを売っていたが裏目に出てさすがに無理と判断したようだ。
石炭博物館内には様々な展示物が置かれているが、旧夕張炭鉱の実際の坑道が一部使われていて、炭鉱労働者が実際に入坑していたのと同じようにヘルメットのキャップランプの明かりだけで坑内を歩き回れる「まっくら探検」というのがある。炭だらけの炭鉱労働者の写真が添えられているのが生々しい。
そして博物館の玄関先にもまたしても顔ハメ看板が。昭和的な観光地には高確率で置いてますねこういうの。炭鉱労働者になった気分で記念撮影ですか。
石炭博物館内の本館展示について写真は省略する。かなりのボリュームがあるので現地訪問の際はじっくり見て回って頂きたい。特に夕張の炭鉱の歴史に終止符を打ったきっかけとなった「北炭夕張炭鉱事故」についての展示コーナーはかなりスペースを割かれている。
本館を見終えてその次は竪坑櫓跡に作られたエレベーターを通っていよいよ地下の坑道に入っていく。「立坑ゲージ」だとか書かれているが普通のエレベーターだし地下1000メートルまで潜って行く事はないので素人でも安心して利用できます。
地下の坑道は明治大正昭和に掛けての炭鉱労働者の姿をジオラマ再現した「炭坑風俗館」なるコーナーがある。思わず「風俗」という言葉にピクンと来るのだが当然性風俗の事ではないので注意。
炭坑風俗館ではその時代時代に沿った炭鉱労働者の労働風景が再現されている訳だが、地下空間という事もあって空気が既に生々しい。実際は地下1000メートルなので地熱によってべらぼうに蒸し暑いはずだったろう。落盤、ガス中毒、酸欠…常に死の危険と隣り合わせの世界である。
昔の炭鉱では女性も貴重な労働力だったようだ。汗も滴るいい女。今の平和ボケの生ぬるい時代からじゃ当時の労働者の生活など想像できませんなあ。
ひとたび坑内事故が発生すると人助けする側の救助班も命懸けである。隊員同士、まるで囚人のごとくロープで繋がっている。暗闇の作業なのではぐれないように一本のロープを隊員全員で掴んで移動するらしい。
例によって最後の方になってくると昭和の近代化した採掘風景へと変わる。ドラムカッターでガリガリ岩盤を削っていく訳ですな。この先にヘルメットを被って暗闇の坑道を進む「まっくら探検」のコーナーがあるが閉所恐怖症の人にとってはキツい。ましてや地下1000メートルだなんて多分無理。
…で、真っ暗な坑道を歩いていくと「炭鉱生活館」の建物脇の山に出てくる事になる。束の間の地底探検は終了である。結構端折り気味だったが、実際は2時間くらいたっぷり時間を掛けて見て頂きたい博物館である。
その近くには明治22(1889)年に発見された石炭の大露頭「夕張二十四尺層」が夕張炭鉱発祥のシンボル的モニュメントとしてそのままの形で保存されている。
まだまだ周辺には回り切れない程の施設が残っているがその大半は閉鎖されてしまった。「世界のはくせい館」「ロボット大科学館」、そして遊園地「アドベンチャーファミリー」に「SL館」…一体どれだけあるんだと思うのだが、これらは全部閉鎖されている。
せっかく作られた「しあわせの滝」も水が枯れ果ててしまっていてなんとも物悲しい気持ちにさせられる。大風呂敷を広げさえしなければ夕張市の財政はここまで酷い事にはならなかったであろうに。「炭鉱から観光へ」の大失敗の傷跡が癒えるのは一体いつの時代になるだろう。