【○○島】無残な廃墟の島と化していた、三重県志摩市「渡鹿野島」の現状(2012年)

2008年に初めて渡鹿野島に訪問してから4年、遊郭の島として江戸時代からの歴史を歩んできたこの島の「伝統産業」もすっかり影を潜め、島の盛り場の夜も寂しい限りの姿を見せていた。

一晩明かしてから、明朝再び島内を探索することに。廃業したホテル大阪屋の脇から集落へ続く路地があるので再び入ってみる。夜来た時は真っ暗で何も見えなかったが…

2012年、渡鹿野島はこうなっていました

集落の路地に足を踏み入れると古くからの生活空間が残る離島独特の密集した住宅地の風景が見られる。廃業したっぽいスナックがちらほらある他はタバコ屋が一軒。

集落の中にある八重垣神社は渡鹿野島を代表する神社。毎年7月末に行われる「天王祭」では奉納花火も打ち上げられ島外からも観光客が来て暫しの間だけ賑やかになる。

集落を抜けて高台に上がってきた。島の街並みをここから一望する事が出来る。左右に2つあるホテルの建物はつたやと大阪屋。

しかし足元に目をやると大量のガラクタが捨てられ放置されている。何故かトイレの水槽に取り付いている器具が何個も廃棄されていた。

4年前に来た時もかなり廃墟化した家屋が目立っていたのだが、渡鹿野は高齢化が激しい過疎の島でもある。島の中心のホテルや盛り場ですら廃墟だらけなのだから島の奥に行けばどうなってしまっているのか…

ホームページで島の伝統産業を大胆にアピールしている「旅館浮島」も健在。ちなみに渡鹿野の旅館で呼べるお姉さんというのは島に住んでる方々とは関係なく、島外からやってくる専門の方々らしい。

渡鹿野島に存在していた保育所の廃墟

集落の奥へ入るとよくわからない路地がいくつも伸びている。前回は何もないだろうと思って引き返したが、今回は遠慮なく深入りしてみる事にする。

するとその先にあったものは…保育所の廃墟だった。過疎化の激しい島だがかつては子供も多かったのだろうか。

島民の避難場所に指定されているらしいが見ての通りの廃墟だもんな。看板には合併前の磯部町の名前が記されている。

磯部町立渡鹿野保育所。島民の子供が通っていたには違いないが、島で働いていたお姉ちゃんの子供もきっと少なくなかったのではないだろうか。

ジャングルジムや鉄棒などの遊具はそのまま残されていた。何とも侘しい光景である。それは子供の姿が消えた過疎の島の末路。

島の共同墓地と廃墟アパートの数々

島の中心集落は元からの島民の一軒家が多いが奥に入るにつれてアパートが目立つようになってくる。しかも総じて荒れた佇まいで、廃墟と見間違える程不気味に思える。

部屋を見れば分かるが殆どが空き家である。人の住む気配が全く感じられないがこれでも一部には人が住んでいる。人口300人足らずにも関わらず明らかに供給過剰に思える、この特殊な島にあるアパートの事、どんな人間が住んでいるかは説明するまでもないだろう。その暮らしぶりは想像するも孤独感ばかりが思い浮かぶ。

空き家だらけのアパートが何棟も並ぶ中で唯一生活感を感じる風景、裏庭に洗濯物が干されていた。女性モノの衣類である。やはりこれも説明の必要はない。

ハートマークな形の渡鹿野島の北西部へと至る車道に沿って歩いて行くと島民の共同墓地があった。今も花束が絶えない墓地に刻まれた字を見ると一般的な「○○家之墓」ではなく正面に戒名が大きく書かれている墓が多い事に気づく。この地方独特のしきたりがあるのかも知れない。

墓地の隅に置かれた無縁墓らしき墓石の数々。きっとこの島で生涯を終えた遊女の墓もこの中にあるのだろう。

そんな共同墓地の一角には一際大きな「殉国英霊之碑」がある。渡鹿野島は戦時中に海軍予科練の秘密の特攻基地を置いていた事もあり米軍の空爆の対象となって空襲にも見舞われている。その時の犠牲者を弔った石碑であろうか。

さらに道なりに進んでいくと海側に下った斜面に何軒も不自然にアパートらしき建物が並んでいるのが遠目に眺められる。あれもかつて島で働いていたお姉さん達が住んでいたアパートなのだろうか。

しかしアパートの建物自体もその周囲の道もこれでもかと枯れ草が伸び放題になっていてとても近づけそうにもない。当然アパートは廃墟化しているようだ。

左側に二軒向き合って並ぶ二階建てのアパートも同じく廃墟。見た目にはそれなりに綺麗さを保っているが、このアパートの多さは昔住んでいたお姉さんの多さを物語っているのだろう。昭和50~60年代頃までが売春島としてのピークと聞いていたのだが、あのアパート群は築20~30年くらいの建物に見える。

遊女の岩?

昼頃までに島を一周出来るかと甘く見ていたが結局あれこれ寄り道してしまい無理だった。最後は島の東側に回ってみる。パールビーチから向こうは集落が途切れて海岸の防波堤沿いの道を行くしか無くなるが、その終端には曰く有りげな碑が磯の上に立っている。

どこかで見た観光案内板にはこの突き当たりに「遊女の岩」があると書かれていたが、これは岩というよりは石碑だし…結局よく分からなかった。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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