売春島から観光の島へ…三重県志摩市「渡鹿野島」上陸記(2012年)

三重県

三重県志摩市にある渡鹿野島は江戸時代から大坂と江戸を行き来する菱垣廻船の風待ち港として栄え、はしりがね(把針兼)と呼ばれた遊女が船乗り達の相手をしていた。その歴史が戦後にまで受け継がれ、売防法施行後も長らく「売春島」の異名で全国のスケベ男どもの間にその名を轟かせていた。

この島に訪れるのは二度目の事となる。前回は2008年初旬の訪問でそれから4年余りが過ぎた訳であるが、あれから変化はあったのか、そして今も残る売春島伝説の実情とやらをもうひと探りしたかったのだ。今度はちゃんと夜にやってきましたよ。

今回は違ったアプローチで渡鹿野島に渡ろうと思っていた。島に渡る方法は対岸の国府地区から夜遅くまで出ている民間定期船に乗るしかない訳だが、今度は「渡鹿野島に泊まる」腹積もりで事前に予約していたホテルの船で行くのだ。

やってきた定期船はホテル専属ではなく民間定期船と同じものだった。船内にも時間が遅くなるほど船賃が高くなる不思議な料金表が載っている。近年はソッチ目的の客もごっそり減ってしまいもはやピンク産業だけでは島が食っていけない事情がある。渡鹿野島には何軒か旧態依然とした観光ホテルがあるが一方で完全な観光目的での客を受け入れようと妙にオシャレぶったホテルも開業している。

渡鹿野島に爆誕した意識高い系リゾートホテル

…で、今回泊まる事になったのがその妙にオシャレぶったホテルな訳ですが(笑)渡鹿野島最大のホテル福寿荘が別館として2004年に開業した「アジアンな温泉宿 はいふう」。予約客は既に船着場自体が別で、ホテルの真ん前で降ろされる事になる。荷物はその場でスタッフが預かってくれる。やだ、なにこの高級テイスト。

ロビーにやってくるとお茶とお菓子が出てきて…と既にDEEP案内の路線じゃありませんがこれは。スタッフの応対は一流ホテルのそれと全く同じ。ぐうの音も出ない。そして周囲を見渡せば非常にお客が多く賑わっている。殆どカップルか家族連れだ。リア充しか居ないよ。

ホテルの内装はバリ島風味なアジアンテイストで統一されていて、ほぼ全室プライベートバスとバルコニー付きのリゾートホテルとなっている。豪華料理2食つきで宿泊料金は1人2~3万円といった所か。ここが渡鹿野島じゃなければこんな高級宿に泊まりませんよ我々だって。

スタッフの親切丁寧な応対の上お部屋まで案内されるとホテルのパンフレットに書かれている通りプライベートバスや福寿荘と共同の大浴場、アーユルベーダにエステ(笑)まで至れり尽せりのサービスを堪能する事が出来る。部屋にはDVDも豊富に揃えております…とまで言われて、いやホテルの外に行きたいんだけど、という雰囲気ではないのだ。

そしてお楽しみの晩御飯はというと…豪華フルコース料理(笑)的矢かき白ワイン蒸し、志摩産地蛸のカルパッチョ、帆立貝のムースカナッペ、お造りは伊勢海老、横輪鮪、真珠貝昆布〆、それから伊勢海老のクリームスープ…ここは本当に渡鹿野島なのだろうか。幻覚を見ている気になってきた。

リッチ過ぎて落ち着かない空間で座っているとお造りが運ばれてきました。すみませんねえ贅沢してしまって。終始このようなもてなしでホテルでの優雅な時が流れていく訳です。

お客には評判上々で、この島の歴史をなーんにも知らないような呑気そうな方々が思い思いの時を過ごされている。リア充カップルどもは飯食ったらプライベートバスに浸かってベッドでメイクラブだろうが我々には自らに課していた任務が残っている。

晩飯もそこそこにホテルの外に出ようと渡り廊下に向けて歩いて行くと妙に場違いな強面のオジサンスタッフに「どちらへお出かけですか」と止められてしまった。散歩したいだけだと言ったら「特に見るものもないのでお部屋でゆっくりされてもよろしいかと」などと返されてしまった。

結局訝しげな表情のホテル従業員のオジサンを振りきって外に出てきた訳だが、不自然に止められるとやはり客に見せたくないものがあるのかと勘繰りますよね。ちなみにパンフレットにもホテルの外についての案内は殆どなし。渡鹿野の地名すらない。ホテルの外へは隣り合っている福寿荘の玄関から出る事ができる。

ホテルから出ると目の前は一般の船着場。前回はここから島にやってきた訳で定期船を降りた途端ポン引きのおばちゃんに「もう遊ぶとこ決めた?」等と声を掛けられたのだが、福寿荘の前に3人くらいそれっぽいオバサンがたむろしていただけでその手の客の姿は居なかった。

船着場の前に出てきた。人っ子一人居ない。正面のフードショップちゃのみは夜も営業している。今では夜遊びに来る人間もそれほど居ないのだろうか。4年前に来た時にはあったはずの太陽マークの「歓迎わたかの島」看板が撤去されている事に気づいた。

フードショップちゃのみの店舗脇には意味深な栄養ドリンクの自販機が煌々と灯りを照らしていた。夜遊びの前のビタミン補給は重要ですからね…って、本当に誰一人も人が近寄って来ないんですが。

しばらく船着場の辺りで様子見に突っ立っていると背骨の曲がった随分年寄りな婆ちゃんが近づいてきた。もしかして営業ですか?!と思ったのだが結局他愛もない話をしただけで終わってしまう。昔は賑やかだったけどねえ、などと。商売っ気が全然ない。

他の客は来ないものかとしつこく船着場の前で見ていたが全く来ないんですよ。もう殆ど商売はしていない気がした。そりゃ誰か来れば福寿荘の前にたむろしているオバサン連中が動き出すのだろうが…それに福寿荘やはいふうの客はかなり多いが、ホテルの外に出てくる物好きな客は殆ど居ない。

島のメインストリートも夜はこの通り。もはや歓楽街としても機能していない。いまや渡鹿野島の経済は福寿荘を中心に回っているみたいだ。

それでも島を歩いてみると2軒程ラーメン屋や居酒屋などの飲食店が店を開けている。店の中を覗くと訳ありそうな姉ちゃんが客と同じカウンターで座っていた。どうやら常連はポン引きを通さずこのような飲食店で姉ちゃんと顔を合わせて目的を果たすらしい。

最盛期には150人くらい居たのが今では20人程度(しかも外人か日本人でもご高齢)、お姉ちゃんを派遣する置屋もバタバタ潰れて今では5軒ほどが細々やっているだけのようだ。

そりゃ都会に出た方が選択肢もあるしわざわざこんな僻地まで来る値打ちを考えると寂れるのも致し方無い。かつて渡鹿野の名を轟かせた売春島伝説も自然消滅の時は近いだろう。この4年間の違いでもその現実を肌で感じる事が出来た。

渡鹿野島が観光の健全化に舵を切る施策の一つとして2003年に整備された「わたかのパールビーチ」まで歩いてきた。当然ながら夜のビーチに人の姿はいない。年々高齢化が進み今では人口270人しか居ない限界集落の島なのだ。

思いっきりシーズンオフな訳だがパールビーチの更衣室やシャワー室があるスペイン風味の小屋は派手にライトアップされている。

前にここに来た時にはいかにも訳ありそうな犬連れのお姉ちゃんが居ましたけどね。凄く星空が綺麗ですよ。ホテルのオジサンには外に出るのをやけに反対されましたけどね。いっそ開き直っておスイーツなデートコースにすりゃいいんじゃないの。

4年前に来た時には施設の大部分が廃墟化しながらも辛うじて営業していた「朝潮ホテル」がとうとう廃業して本当の廃墟になってしまっていた。廃墟なのに何故かライトアップされているというのが笑えるのだが、本当に深刻な事態だわね。

前回は夜遊びに来たであろう男の集団がわーわー騒いでいた朝潮ホテルの大浴場もご覧の通り。寂しい限りである。

廃墟だらけでげんなりしそうなパールビーチ沿いに並ぶホテルのうち福寿荘系列の「はな」と「旅館三好」の二軒のみが営業中。


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