三重県の県庁所在地・津市にある昭和レトロ魔窟「大門商店街飲食店街」がボロ過ぎてヤバイ

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三重県 津市

今度はアーケード街を挟んだ南側の区画に入る。昼間でも日の光が決して当たる事もない陰鬱な空間…英語で書かれた落書きも津市が歪んだインターナショナルタウンである事を物語っている。

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こちらも負けず劣らず、もう見るからにじめじめと淀みきった飲み屋街、夜は果たしてどんな輩が蠢いているのか想像しそうになる。今ご覧になっているのは、三重県の県庁所在地を代表する繁華街の光景です。

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大門商店街付近は完全に「夜の街」と化していて、夜遅くには怪しげな客引き行為が後を絶たず、まともな一般市民が近づかない街になっている。そのへんの街の変質ぶりは、群馬の高崎中央銀座あたりに似ている。中心市街地が空洞化するモータリゼーションの悪弊が最も顕著に現れている一例と言えよう。

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こんなどんよりモード全開の飲食店街で「スナックりずむ」とか言われても鼻歌の一つも出てきやしません。オツな豆タイル風ドット看板が半分剥げ落ちていますがそれでも素敵です。元々何の絵だったのかな。

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ここがかつて沢山の酔客で溢れていたのかと思うと時代の流れを感じますが、同じ寂れている中心市街地でも岐阜の柳ヶ瀬の方はまだまだ「生きてるな」と思えたんですよ。それに比べてこっちはなんとも物悲しさに満ちている。

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なんだかサイケデリックで怪しげなデザインのお店に目が留まるが、玄関口にピースボートのポスターまで置いていたらソッチ系の人かなとか色々と邪推したくなるのが人情というものです。

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「お買物・飲食は大門商店街」の看板もいいかげん古めかしい。案の定、津市内にもごっついイオンの店舗がいくつもあるので、とっくに買い物客がここに来る用事も無くなっている。特に津市に住む三重大の学生の多くは大門商店街の存在すら知らないというショッキングな事実が報じられている(→詳細)。

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飲食店街の南側まで出ると、ようやく日の光が拝める。アーケード南側の区画は、北側のように一つの建物ではなく複数の雑居ビルが繋がりあった形で飲食店街が構成されているようだ。

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雑居ビルの間の通路上に掲げられた古びたネオン看板「皆さまの大門商店街」…皆様とは言われてもこりゃ人を選ぶ商店街な訳でして…でもまだこれで帰るのは早いのである。再び、津観音に隣接する観音公園の前まで戻る。

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観音公園まで出てくると、先程まで歩いた大門商店街飲食店街の建物が何だったのか、その外観を知る事ができる。二階建てのコンクリート建築で、二階部分はあろうことか「住居」になっている事が見てとれる。

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こんなやさぐれた場所にも庶民の営みはあるわけでして、そそられますね…と、建物脇に取りついている外階段で二階に上がる。飲食店街と入口は別々にしてあるという事のようだが、すこぶる雰囲気が悪い盛り場の上という事もあり住環境はお察し下さい。どうでもいいですが、踏み面狭すぎで、階段を登るのもつま先立ち気味になります。

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だって、のっけからポルトガル語と思しき言語で落書きしてあるのが目につくし…三重県がブラジル人労働者が多いのは知っているが、子孫は不良少年となってしまうのがオチなのであろうか。ポリカル・アナーチョ?アナーキストとかそんな意味で伝えたかったんですかね。

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アナーチョかカラムーチョだか知りませんが、階段を登り切って二階を見るとのっけから他人様のお宅のベランダのような空間が現れたので、ここで引き返しました。案の定だがかなり空き家だらけになっていて、独居老人が細々と暮らしているような感じを受けた。ちょっとした魔窟ですねここ…

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なお、二階の階段付近の壁にはこのビルを手掛けた記念碑が据え付けられており、当時の「津市大門商店街商業協同組合」の理事長はじめ関係者一同、設計施工を手掛けた会社の名称、それから着工と竣工の年月日が記されていた。昭和31(1956)年か…新幹線もまだ出来る以前、経済白書に「もはや戦後ではない」の一文が出た年に出来た建物だ。

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観音公園側からこの通り、飲食店街ビルの全貌が眺められる。思わぬ所に存在した昭和遺産。しつこいけど、こう見えても三重県の県庁所在地の繁華街、一等地ですよ?


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