昭和の時代まで炭鉱町として栄えた福岡県筑豊地方の中でもとりわけ悪い意味で有名な街が「田川」という街で、田川市と田川郡に跨る広大な地域に元炭鉱町がびっしり残されている。炭鉱閉山後の失業者達の集団スリを描いた「白昼堂々」という映画の存在といい、色々とアンタッチャブルな意味でネタにされる事が多い土地柄であるが、実際には日本屈指の物悲しい街並みが広がっている。「炭坑節」発祥の地としても有名な田川には、伊田と後藤寺の二つの繁華街があるが、我々はそのうちの一つ、後藤寺を見て回った。
まずは田川の二大ターミナルの一つ「田川後藤寺駅」へ、JR日田彦山線、JR後藤寺線、平成筑豊鉄道の二社三線が乗り入れている。元々田川市というのは昭和18(1943)年に旧伊田町と旧後藤寺町が合併して出来た自治体で、どちらもそれぞれ中心市街地があるので気をつけましょう。駅には2009年からネーミングライツがついていて、福岡県に本社を置くディスカウントスーパーの名前が頭について「MrMax田川後藤寺駅」という芸人かプロレスラーみたいな愛称が付けられている。
後藤寺駅前正面から伸びる県道432号線沿いを歩くと歩道部分に商店街が連なっているが、例によってシャッターが降りたままの店が目立つ。まだ夕方5時くらいなんですけどね…元炭鉱町というだけの事はあって大衆食堂の比率がやけに高いのが特徴的。
例に漏れず寂れ方が凄まじいのが田川の商店街。それもそのはずで、田川の街に繁栄をもたらした三井田川鉱業所が東京五輪と同じ昭和39(1964)年に閉山してしまい、最盛期の1950年代には10万を突破していた人口も今では半数以下の5万人割れという現状。
駅前の県道沿いを歩くと「田川ごとうじ銀天街」の入口が現れる。後藤寺では一番のメインストリートであるはずのアーケード街、炭鉱が閉山した後も昭和40年代くらいまでは栄えていた商店街だというが、とりあえず中に入ってみますかね。
昭和の時代そのまんまなアーケード街の風情がたまりませんが、案の定軒並みシャッター街で、何一つ開いている店舗が存在しない。これは凄まじい…まだ飯塚あたりのアーケード街はそこそこ大丈夫そうに見えたけど、ここは完全にオワコン状態ですね…
田川後藤寺銀天街は長さ約400メートルのアーケード街が南北に連なり、「本町銀天街」と「上本町商店街」とに分かれている。しっかり作られた全蓋式アーケードと、足元には綺麗にタイルが張られていて、経年劣化でタイルが剥がれているような事もない。しかし全然営業している店が見かけられないのだ…
地元民の日常のお買い物スポットであるはずの街のスーパーもこの通り。「衣料センターまるふじ」「スーパーさきやま」の看板だけが辛うじてこの店が何だったのかを物語る。
地元後藤寺のご当地ヤンキー出没の巻。薄汚れたシャッターに「喧嘩上等」と落書きしてしまう民度のアレっぷりが筑豊クオリティを実感させる。どうでもいいけど右のイラストはパッと見たところヤンキー大好きな例のアソコマークかと思ったんですが、よく見ると「ドラえもん」だったみたいです。
「伝統とふれあいの街」という商店街のキャッチフレーズも虚しく響き渡るゴーストタウンと化したメインストリート。時折駅からの帰り道であろうご老人方がとぼとぼ家路を辿る光景が見られるだけで、商店街としては完全に終わっている。
やっと中心市街地らしい佇まいの商業ビルが現れましたよ…サニービルという名前ですが、美容室や写真屋や眼鏡屋などがちょこちょこ入居しているらしい。やっと商店街らしいちゃんとした店があった…
しかもこのサニービルの二階にはファミリーレストラン「薔薇乃樹」なる店が入居しているようで、のっけから秘宝館フォントみたいな店のロゴがそそられるので二階に上がってみるのだが…
「薔薇乃樹」もまた残念ながら廃業してしまっていた。前回の直方に引き続いてここ田川後藤寺でも食う場所に困る羽目になるとは…しょうがないので先日直方の「もち吉」で買ったおかきの残りで辛うじて飢えをしのぐ。