九州の試される大地・筑豊…ゴーストタウンと化した炭坑節発祥の地「田川後藤寺銀天街」を歩く

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田川市 田川後藤寺

これは銀行の支店か何かですかね…田川市民もすっかりモータリゼーションの影響を受けて郊外のショッピングモールに買い物に行くのが常態化しているのだろう。なお田川市の生活保護率は全国平均の約4倍、6%を超えている。生活保護受給者でもマイカーくらいには乗れるんですかね。

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さっきのサニービルもそうだが、まだこう見えても一部店舗が生き残っているので、商店街を解体しようとかアーケードも外そうとかそういう展開にはならないようだ。孤軍奮闘、人通りの消えた商店街で商売を続ける寝具専門店。

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地方の個人経営の書店なんかは特に経営が大変そうだが、こんな場所に本屋が生き残っているのはある意味奇跡的かも知れない。他にも営業している店舗はないものか探したが、目についた範囲ではこのくらいしか無かった。

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本屋から先のアーケード街の一部は完全に照明が落とされて真っ暗になってしまった箇所もあり、なんとも不気味だ。夜遅くになったら独り歩きの危険すら感じさせる…

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商店街の南側は「上本町商店街」という別名称となるが、アーケードの造りなどはほぼ同じである。寂れっぷりと空き店舗の多さは相変わらず…ここまで深刻に寂れてしまったのも、そんなに昔からの話ではないと思うんですが…

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つい最近廃業したと思しき商店の別れの挨拶がシャッターに貼り付けられている光景といい、こんなに寂しい気分にさせてくれる商店街も全国各地探してもあんまり無いものだと思われます。そう言えば田川市にもう一つある伊田のアーケード街も、似たようなゴーストタウンっぷりで、両方見ていくと「九州の試される大地」ぶりがよく実感できるのでお勧めします。

田川市 田川後藤寺

「がんばろう日本 がんばろう田川」の垂れ幕は何を意味しているのか知らないが、まるで震災被災地のような悲壮なスローガンにも思える。街ごとゴーストタウン化している破綻都市・夕張市役所もこんな感じだったっすね…

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とっくに廃業した店ばかりだが「うどん屋」が妙に多いのも元炭鉱町らしい下町風情が感じられる。典型的な盆地気候である筑豊地方では冬の寒さはなかなかのものがある。炭鉱閉山前までは全国各地から労働者が集まって暮らしていた土地である。

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かつて炭鉱労働者として田川に暮らし始めた人々も現役世代は年金受給者か生活保護受給者しか居ない訳だし、若い人間は福岡市内なり大阪や東京に出て行ってしまう。炭鉱閉山後は工業団地を誘致するなりして行政も人口流出対策を行っているらしいが、それでも主要産業が失われた街が再び賑わいを取り戻すのは容易なものではないのだ。

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無人状態のアーケード街の中に飲食街の路地がひっそり残されていた。こういうアプローチを見つけると無駄にワクワクするもので、元炭鉱町の盛り場とはどのようなものだったか色々想像を巡らせたくもなる。しかしどの店も開いてる様子がないし、しーんと静まり返ってますよ。

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飲み屋小路の奥の方まで足を踏み入れたが、結局この盛り場も無人状態だった…週末の夜とかに来た方が良かったのだろうか。まだ一部の店が現役っぽいし、共同便所も使える状態なので、飲食街自体もまだ開いているみたいなんですがね。

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色々と土地柄だけに何か事情がありそうな「暴力追放の店」の鑑札も歴史を感じるブリキ製。

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田川市の場合はまだアーケード街が残っていたり、市街地らしい体裁があるだけまだ良いのかも知れないが、もっと奥に入った田川郡の川崎町や大任町、嘉麻市あたりなんかはもっと鄙びていて生活保護率もさらに跳ね上がるので、筑豊の奥深さはまだまだ掘り下げると底なしかも知れません。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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