琉球国王の末裔が住む街にまるで古代遺跡のような空間が!那覇市首里「宝口樋川」

那覇市

ゆいレールに乗って終点の首里に行くと、超有名観光地である首里城あたりに行ってしまうのが観光客の大半の行動パターンなのだが、その一つ手前の儀保駅で降りると、そこにも琉球王国の歴史の痕跡がしっかり残る街並みが見られる。

沖縄県 那覇市 儀保

首里城の守礼門へはこの駅から歩いても首里駅で歩いても実のところさほど距離は変わらない。ひとまず今回はこの儀保駅の近くの街並みを探索する。琉球王国時代に作られた「宝口樋川」という井戸があって、そこがなかなか凄いというので気になっていたのだ。

沖縄県 那覇市 儀保

儀保駅前から南西側に伸びる儀保大通りに入って、途中で首里城方面に抜ける脇道に入るとひときわ鬱蒼とした森に囲まれた巨大な豪邸が姿を現す。そこは琉球王国の尚家の末裔である尚さん家でした。

沖縄県 那覇市 儀保

堂々と掲げられた尚家の表札。とはいえ一般の個人宅でしかないので、我々のような余所者は外観だけ眺めて通り過ぎる事にしましょう。ちなみに首里の付近には今でも尚家の子孫が数多く住んでいるそうだ。

沖縄県 那覇市 儀保

儀保周辺も基本的には那覇郊外の住宅地といった趣きの場所だが、駅の近くに真嘉比川という川が流れている。この川に架かる橋の上から景色を見ると、住宅街の中に裂け目が出来たかのように渓谷が深く沈み込んでいる。

沖縄県 那覇市 儀保

この真嘉比川のそばまで降りていく脇道が伸びているので入っていく。粗末な舗装がされているだけの細い路地だ。進んでいくとどんどん底の方まで下り坂と階段が続いている。

沖縄県 那覇市 儀保

傍らの建物は家の裏手のガレージなのか倉庫なのかよく分からない感じで殺伐感を高めてくれる。ひと気のない気味の悪い場所にも見えるが、この先に那覇市民の先祖が生活のために使っていた共同井戸がある。

沖縄県 那覇市 儀保

やがて谷底に来るにつれて綺麗に石畳や立派な石積みが組まれた一画が現れる。容赦ない沖縄の太陽はこの空間には一歩届かず、何やらひんやりとした空気が肌に流れる。

沖縄県 那覇市 儀保

階段を降りた先にはまるで古代遺跡のような人工的な水路が築かれていた。ここは「宝口樋川」(タカラグチヒージャー)という共同井戸で、1807年に首里の村人達が資金を出し合って創り上げたというもの。200年以上も前のものがそのままの形で残っている。

沖縄県 那覇市 儀保

そしてこの場所では今でも湧き水が滾々と湧き出ている。湧き水の事を琉球の方言で樋川(ヒージャー)と呼ぶのだ。沖縄人がよく食らう山羊もヒージャーだけどな。

沖縄県 那覇市 儀保

その奥にはズラリと並んだ水槽がある。飲料用と洗濯用に分かれていたそうだが、今となっては全く使われておらず、なんだか淀んで汚くなった水たまりが出来ている。

沖縄県 那覇市 儀保

昔の琉球の主婦達がここで毎日洗濯や炊事を忙しなくこなしていたという事だが今となっては遺跡そのものといった佇まいだ。周囲はモノレールも走るわ普通に近代的な住宅地になっているのにここだけタイムスリップしたかのようで不思議な空間である。

沖縄県 那覇市 儀保

樋川の傍らには立派な石碑がデーンと居座っている。「寶樋」の文字が刻まれた石碑はこの宝口樋川が建造されたばかりの時に作られたそうだが戦災で長らく消失してしまっていた。それが真嘉比川の改修工事でたまたま川底から発見されたらしく復元されたものが置かれているのだ。

沖縄県 那覇市 儀保

そして樋川の真向かいにはまさしく滝壺のように落ちる真嘉比川の姿があった。都会の中のジャングルなのかここは。鬱蒼と生い茂る森が自然環境を物語るが、川の水は生活排水が垂れこんでいたり、ゴミが流れ着いたりしているので、なんだか汚い。

沖縄県 那覇市 儀保

それでも適当に画像をインスタ風にフィルター掛けたりなんかしてSNSにアップロードして「とても幻想的な光景です!まるでジブリの世界!!」とか言っちゃうと腐れキュレーションサイトやバイラルメディアにバズられてアホ観光客がわらわら群がるようになるのが今の世の中なので、うちのサイトでは現実的な事しか言いませんからね。

沖縄県 那覇市 儀保

その奥にもまだまだ未舗装の獣道同然の細道がずるずると先へ続いている。通りぬけ出来るかどうかよく分からないがやっぱり不気味な感じだ。

沖縄県 那覇市 儀保

その先を見ると何故か鶏の飼育小屋がぽつんと置かれていた。ここは私有地なのだろうかよくわからんが人の家の庭にお邪魔してしまったような、気まずい感じが漂った。沖縄ではこういう場所にフツーにヤギとか飼ってたりしますからね。このくらいでは驚かないで下さいね。


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