米軍基地問題で近年しきりに騒がれている「オスプレイ」(V-22)という新型航空機の存在。沖縄の普天間基地に配備される事になり、地元紙二紙や進歩的メディアなどが配備反対の論調を繰り返しているのでオスプレイの名前だけが一人歩きして、実際どんなものか知らねえよという状態。固定翼機とヘリコプターの両方の特性を活かせて戦略上存在意義の高い機体であり、離島防衛に高い威力を発揮する事が見込まれ、近々日本でも自衛隊への導入が検討されているそうですよ。
んで、せっかく沖縄にまで来ているのに普天間基地に配備されているオスプレイの姿を全く見ずに帰るのもどうかと思い、オスプレイが極力見えそうな場所に赴く事にした。まず普天間基地の中を見たければここに来るのが一番。宜野湾市の嘉数高台公園である。沖縄戦で激戦地だった地域にあって、公園内には地球儀の形をした展望台に加えて慰霊碑やトーチカなどが多数残されているのだ。
さすが嘉数高台公園の展望台、ここからだと基地の中にずらりと並べられたオスプレイの機体がよく見える。この日は合計9機が普天間基地に置いてあって、地元の高校生が大勢見学に来ていた。それにしても周囲は本当にまんべんなく市街地な訳ですね。近くにある沖縄国際大学に米軍のヘリが落ちて大騒ぎになった事も記憶に新しい。地元マスコミはオスプレイも落ちるのではないかと危機感を煽りまくっている。
また、普天間基地がある宜野湾市や周辺に居ると割とよくオスプレイの飛行訓練中の姿をお目にかかる事もできる。固定翼機とヘリコプターの両方の特性を活かせるので、結構低空飛行でギュインギュイン飛び回っていて迫力満点。これに沖縄とは縁もゆかりもない本土からやってくるプロ市民がギーギー喚き立てている訳だが、もしここ住んでいる立場からすると、これが日常茶飯事だと多少は不安にならざるを得ないのは一理ある。単純にオスプレイ反対、米軍は普天間から出て行けというヒステリックな声はともかく、現実路線として辺野古への基地機能移設に賛成する立場の方々もいるのだ。
次にやってきたのは普天間基地の目前にある宜野湾市真栄原。あの有名な社交街(新町)のすぐ近くだが今回はそっち方面の話ではありません。真栄原の北に佐真下という地区がある。真栄原名物の例のダジャレ看板はこんな場所にまでテリトリーを広げていた。「佐真下の皆さん おはよう 目を佐真下?」
真栄原交差点から沖縄国際大学の前に続く道の交差点は普天間基地のゲートがあり、これ見よがしに政治関連のポスターがくどい程掲げられている。まあなんというかこんな所に谷亮子さんが。
何でも反対のたしかな野党の横断幕まで張り出されていてなかなか見た目にキテる一画であります。沖縄に行ったのが春先だったので各左翼政党や沖縄ローカルの進歩的メディアによる「4.28屈辱の日」キャンペーンが激しかったっすねえ。
ゲートの前には「MCAS FUTENMA」と書かれた真っ赤なプレートが。「Marine Corps Air Station」の略で米海兵隊の意味ですわね。8月に行われる「普天間フライトラインフェア」の時に一般入場が可能ではあるが普段はもちろん入れない。
佐真下にある普天間基地のゲートは使われていないせいか閉鎖されていた。ここから基地関係者の出入りはしていないらしい。最近ではオスプレイ配備反対派のプロ市民が赤いリボンを括りつけたり凧揚げしたりと色々嫌がらせが多発しているようだ。
締め切られたゲートに何者かがカタカナで「キチハヒトゴロシ」などとテープを貼りあわせた文章を残していた。基地の外だけに、基地外じみてますねえ。
基地のゲートそばに「佐真下公園」という小規模な公園があるので入ってみた。嘉数高台公園ほど大きくはないが、基地のフェンスギリギリに整備されていて臨場感が半端ありません。よくわからないホームレスとかが寝てたりもするし至って平和な空間ではあるのだが…
フェンスの前で呑気に子供が遊んでいるという日常風景。子供も良く分かっていて「ここから向こうはアメリカだよ」とわざわざ教えてくれる。ここなら金網越しではあるがかなり至近距離からオスプレイの機体を眺める事が出来るが、さすがにフェンスの近くで基地にカメラを向けるのはやめておいた方が良い。沖縄本島にいれば普天間基地のイベントも含めて度々見学会などもやっているのでその時には機体をじっくり見られそうだが、結局その機会もなく東京に戻ってきたので、我々としてオスプレイを見られた機会はここまででした。
あと普天間基地の敷地内に「墓地」があるという事を聞いていたので、ここまで来たついでに見に行く事にした。場所は基地南西側の滑走路の端にあたる所。住所で言うと宜野湾市大謝名二丁目になりますな。ここも目の前が住宅地だけどフェンス一枚挟めば滑走路という豪快な風景が見れます。
確かに基地の中に沖縄でよく見るタイプの亀甲墓がいくつも並んでいるのが見える。これらの墓は米軍基地内にあるため当然敷地への立ち入りが認められず好きな時に墓参りができない。基地の中に墓がある一家は4月の清明節の時に米軍に特別に入場申請を出して許可を得た上でなければ墓参りが出来ない。戦後半世紀以上経つが、依然沖縄ではこういう問題が横たわっているのだ。