廃墟商店街と赤壁合元寺裏手のスナック街…福沢諭吉の故郷「大分県中津市」の街並み 

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中津市 中津駅前

日の出町商店街に続いて新博多町商店街のアーケードが分岐している。駅から離れたこちら側はというと、かなり淋しげなシャッターストリートになっておりました。洋風デザインを施した小洒落たアーケードは撤去が決まっているそうです。

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そんなアーケード街を抜けてさらに先に進むと、アーケードが途切れた先にもまだ地味に商店街は続いている。駅から福沢諭吉旧居に向けて伸びる「福沢通り」のすぐ裏手の道ですね。

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この先、一軒の何の変哲も無さそうでアジアの女性の自立を応援しているらしいラブアンドピース臭漂うフェアトレードな喫茶店が店を開けているんですが、どうでもいいけど朝日新聞取ってるみたいでさすがですね。そこで視線を上にやるとですね…

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なんとここにもアーケード街が残っているではありませんか。しかも完全にくたびれきってもはや商店街の体を成していないという状態である。もう明らかにお役御免となったようで屋根の一部は取り外されている。

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こんな所にも地味に洋服店だった店舗などがいくつか昔の趣きそのままに残されているのだ。天井から吊り下げられた照明ももはや灯りが点く事もないのだろうか。店舗テナントの一部は業者が使っているようで人の姿はあるにはあるが、商店街としてはとっくに終わっている。

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この商店街の内部は袋小路になっていて福沢通り側には出られない。突き当りにあるのはこれまた渋すぎる外観のカフェバーの店舗である。蔦の絡まり方すら芸術的過ぎて思わず息を呑む瞬間だ。

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もう片方の突き当りにはテーブルと椅子が無造作に並べられている。商店街の関係者が日向ぼっこでもしながら雑談する用でしょうかね。

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少し離れて眺めると、途切れたアーケードの先に木漏れ日が見えて何やら幻想的な風景にすら思えるのだ。この商店街も景気が良かった頃は福沢諭吉が飛び回っていただろうが、今ではすぐ裏手の銀行くらいでしか飛び回ってなさそうである。福岡銀行、西日本シティ銀行、大分銀行と地元銀行の支店が集結しとります。明らかに昔は街の中心だったのだろう。

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そんな商店街から北側にずんずん進むと福沢諭吉旧居が建つ「留守居町」に辿り着く。カルト宗教の勧誘とかNHKの受信料が云々とか鬱陶しいからって居留守…ではなく留守居町。歴史ある地名らしいですね。居留守ならしょっちゅうやってますが何か。

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駅から1キロ近く離れた留守居町にある福沢公園及び福沢諭吉旧居。中津市で唐揚げを食べる以外に観光する所と言えばここか。諭吉さんはここで1歳半から19歳までの時期を暮らしていた。当然ながら諭吉さんは中津市の街の誇りでもあるが当の本人は「田舎の中津の窮屈なのが嫌で嫌でたまらぬから」「こんな所に誰がいるものか」と言って長崎に出たんですわね。

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諭吉は中津を離れた後長崎に出て、それから大阪の適塾で蘭学を学んだり江戸に出て咸臨丸に乗ってアメリカに出たりその後ヨーロッパ各国を回ったり有名な社説「脱亜論」を発表したり慶應義塾を開いたり、ともかく現代日本社会にも多大なる影響を及ぼしているお方です。

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そんな諭吉さんの圧倒的存在感を考えたら中津イコール唐揚げだけで語るのは勿体無い気がしますし、「歩いている男性を見ると顔が福沢諭吉に見えた」とか失礼な事を抜かす歌舞伎町あたりの立ちんぼのババア達はみんな諭吉さんにごめんなさいしなきゃね。

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福沢諭吉の故郷「大分県中津市」の街並み


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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