当方、幾度と無く沖縄を訪れてはいるが、そんな中で最も“沖縄のガチなリアル”を感じさせてくれる場所は沖縄市の嘉手納弾薬庫地区にある通称「ベトナム通り」(白川フリーマーケットとも)と、もう一つは近年姿を消した、那覇市中心部にある「農連市場」の二つが“最強クラス”であると申しておこう。
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終戦後、米軍統治時代の昭和28(1953)年に産声を上げた「農連市場」…そこは那覇市とその周辺部から農家が直接農産物を持ち込んでは「相対売り」と称する、売り手が一方的に販売価格を決めず、売り手と買い手の双方が納得する値段で取引するという独特のやり取りのもと、長らく“沖縄の台所”として機能していた市場だった。
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那覇のマチグヮーの延長線上にあり、そこを流れるガーブ川沿いに連なる農連市場は見ての通りのバラックぶりで、まるでフィリピンやタイのスラム街を思わせる劣悪ぶりを見せていた。実質的には土着のオジィオバァの溜まり場でしかなく、もはや一見の観光客を拒むかのような雰囲気を持つ異様な建物だった。
2017年10月、農連市場は「のうれんプラザ」に
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かれこれ60年以上、沖縄の戦後庶民生活史の生き証人として残っていたバラック建築も、2017年10月には隣接地に「のうれんプラザ」なる建物がオープンするやいなや、お名残惜しくも取り壊しと相成った。久々に当地を訪れると、かつて市場周辺にあったボロい個人店舗の多くは3階建ての小綺麗な建物に収まってしまっていた。3階部分は駐車場なので、実質的には1・2階しか店舗がない。
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かつて小汚いバラックが連なっていたはずのガーブ川も護岸工事がきっちり終わっていて、見た目にはフツーっぽくなってしまった。川を挟んで右手側の空き地が旧農連市場が存在していた場所だ。今では跡形もなくなっていた。
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かつての農連市場というと、夜中の2時とか3時から開いていて、誰かしらオバァが集まって野菜を陳列している姿が見られるほど「沖縄で一番朝が早い市場」と言われるほどの場所だったわけだが、今回も朝6時半に訪れてみたら、のうれんプラザの奥の方が新しい「農連市場」として機能しているのが見られた。
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相も変わらず農家のオバァが“ゆんたく”しまくっている、移転後の新・農連市場。随分小ざっぱりした佇まいになってしまい、案の定だが風情の欠片も無くなった。ただでさえ日の出の時間が遅い沖縄でこの時間帯というのは、どちらかというと夜更かしをした呑みの〆にステーキを食う時間である。毎度の事だが沖縄に何日もいると途端に生活時間の感覚がメチャクチャになってしまう。
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オバァの農産物直売コーナーの脇には卵の自販機まである。とりあえず早朝この場所に来れば一通りの食品は買い揃える事ができるのは相変わらずのようだが、その様子を物珍しげに見に来る観光客っぽい人の姿は全く見かけられない。
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早朝営業しているテナントはオバァ連中の相対売りコーナーに面した一角に固まっている。昔ながらの一店舗一業種。菓子屋なら菓子、寿司屋なら寿司、昆布屋なら昆布しか売ってないのが基本か。
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しかし、もやししか扱ってない「もやし屋」まであるとは、奥が深いっすね…
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朝が早い市場の人間向けというのは当然のこと、惣菜を扱っているカフェなんかもあって、サンドイッチだとかそうめんチャンプルーだとかが一つ150円とかで安売りしてある店も見かけられる。しかし食欲は全くそそられない。やっぱり“一見さん”には敷居高そうっすね…
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朝の4時半から営業している「名嘉鮮魚店」。刺し身やら天ぷらやらアラ汁やらゆし豆腐なんぞを買って、目の前の椅子テーブルに陣取って飯を食ったりすることもできる模様。他の店でもあれこれ朝っぱらから色々食えそうな雰囲気だったが、結局何も食わなかった。
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今回は早朝にわざわざやってきたので、のうれんプラザ内のごく一部のエリアしか営業していなかったが、昼飯の時間帯になるともっと色々な店舗が営業して賑やかになるらしい。時間を改めてまた来ようと思ったが、スケジュールの都合もあって無理でした。
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一見すると小綺麗に生まれ変わった「のうれんプラザ」の外に出る。相変わらずこの真向かいの飲み屋街は怪しさ全開で、スナックの前で立ち話をしていたおばさんに艶っぽいお声で「お兄さん呑みませんか」と誘われました。はい、未だに現役ですね、神里原社交街。
農連市場がまだあった2013年の風景
農連市場が現役だった2013年時点に撮影した、那覇市樋川界隈の写真をおまけとして載せておく。この頃は農連市場本体のバラックの壮絶ぶりに加えて周辺にも訳のわからない激安自販機コーナーがあったり、西成顔負けの佇まいのうちなーそば屋まであって、他に行き場のないような土着老人がそこかしこにいた。あちこち下手くそな手書きの警告文が貼り付けられていたり、カオスっぷりが容赦ない。そんな「沖縄のリアル」が垣間見えた聖地の一つも今となっては…時代は変わるもんですな。