【久米村】中国からの渡来人が住んだ街・那覇市「福州園」とその周辺を歩く

沖縄のプチ歌舞伎町だとか言われる松山の歓楽街に隣接して、かつての琉球王国時代に中国からの渡来人が移り住んだ、沖縄における最古の華僑コミュニティ「久米村」が存在する。

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ゆいレール県庁前駅から北西に向けて歩くと大通り沿いに中国庭園「福州園」の異国情緒溢れる外壁が現れる。その向かいには松山公園。さっきまで怪しいスナック街だったのに一歩外れると公園や庭園が建ち並び風景の変化が極端な那覇の街並み。

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福州園は那覇市と友好都市提携している中国福州市との関係で作られた庭園らしく入場無料。マジモンの中華建築が何の拍子もなしに街角に建っていて違和感すら感じないのは、やはり沖縄が中華圏の文化を受けてきたという事情もあっての事だろうか。

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庭園内部も凄いと聞いていたので是非とも福州園を見物したかった訳だがせっかく正門まで来てから定休日でスカを食らうという間抜けな展開にズッコケてしまった。

後日出直して「福州園」の中に入ったが、かなり気合が入った中国庭園である事が分かる。まあ、ここに来る観光客は殆どが中国から台湾からの方々ばかりなんですが…

「ほら、沖縄は日本本土と違って中国の文化が混じっている」とか話しているんでしょうか。そもそも彼ら中華系民族は沖縄の事を日本とは思っておらず、沖縄を「沖縄」とすら呼ばず「琉球」と呼ぶ。有名な話である。

福州園自体は1992(平成4)年に那覇市の市政70周年を記念して、中国福建省・福州市との友好都市締結10周年を記念して建てられたものである、と記された石碑。ともかく入場無料なので近くに寄ったら入って損はない。

そういえば福州園の前の通りを海側に行くと若狭緑地のところにドデカイ「龍柱」が建っているが、これも今の翁長知事が那覇市長だった2012年、約3億円もの公金を掛けて中国様のご機嫌を取る為にやっちゃったもので、これも一部の県民の間では厳しい批判を受けている。現代の朝貢外交そのまんまですな…

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福州園を出て、真向かいにある松山公園を見る事にした。公園の中に入ると空き缶集め中のおじさんと野良猫がいた。失業率の高い沖縄では空き缶拾いはホームレスだけの仕事ではないらしく、普通のおじさんおばさんも何の気なしにそこらで集めた空き缶をせっせと潰している。千葉県市川市行徳のマンションで英国人女性を殺害後、沖縄に逃亡した市橋達也被告もやっていた仕事だ。

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一見すると街外れの何の変哲もない公園にしか見えないが、公園の入口付近には沖縄戦の惨禍の記憶を留めるかのごとく白梅学徒隊の女子生徒をモチーフにした銅像が建っている。有名なひめゆり学徒隊のような学徒動員が戦時中には沢山あったのだ。

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銅像の土台には碑文が記されている。ここは白梅学徒隊の元となった旧沖縄県立第二高等女学校の跡地に建つ公園で、学校や校舎自体も熾烈な地上戦の最中に消滅してしまった。

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公園というよりは史跡といった意味合いの強い、何やら殺風景で重苦しい空気の漂う公園だ。

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さらに那覇商業高校を過ぎて久茂地方面に道を進むと、琉球様式のコンクリート建築な仏教寺院「大典寺」の境内が見えてくる。国家も歴史も宗教も本土と違っていた沖縄だけに仏教寺院そのものの数も、神社自体もかなり少ない。

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このコンクリート寺の建物を見るだけでも沖縄は充分外国だと言わしめる説得力を持っているように思えてならない。外壁はクリーム色に直塗りされている。

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本堂に続く階段を登る。伝統的な仏教寺院というよりもキリスト教会に非常に近い様式である。本堂の中をチラ見したのだが、畳張りで座布団が並べられている訳ではなく、キリスト教会と同じように長椅子が整列されてあった。

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今度は本堂を横から眺める。やはりキリスト教会みたいな作りをしている。内装を少し変えるだけで宗派をゴロっと変えてそのまま使えそうな感じだ。

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そして仏教寺院のイメージとは程遠いトロピカル過ぎる中庭が素敵過ぎる。きっと宗教に対する構え方も内地の人間とはかなり違っているのかも知れない。

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南国の楽園といったイメージそのままの大典寺の境内からは親鸞聖人が参拝者を見下ろしていた。

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そしてここにも沖縄戦の戦禍を伝える女学校の慰霊碑が置かれていた。日本全土で唯一地上戦を経験してきた沖縄。戦略上の「要石」としてアジアの国々とアメリカに囲まれた地理的条件が沢山の文化を吸収してきた反面、戦争では完膚無きまでに街が破壊され尽くしたりもした。この島はいつも歴史と国の狭間で翻弄されている。

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同じ道沿いには那覇商業高等学校の建物がある。校舎正面には高校スピーチコンテストの優秀賞や簿記検定1級の合格者の生徒名が自慢げに張り出されているが、名前がいかにも沖縄人らしい。

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甲子園熱が非常に高い沖縄では那覇商は高校野球出場常連の名門校らしく校門近くには「春夏連続甲子園出場記念」と書かれた石碑が仰々しく鎮座している。沖縄人の甲子園への熱は本土の人間からでは考えられない程凄い。米軍統治時代の「甲子園の砂」のエピソードはあまりに有名だし、現在でも県民のアイデンティティを日本全土に放つ事のできる重要な機会だからだ。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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