嗚呼、諸行無常!大型ホテルの廃墟が渓谷沿いに並ぶ「鬼怒川温泉」のヤバさは異常

栃木県

東京から東武特急スペーシアで片道2時間。首都圏近郊の大温泉地として名を馳せる栃木県日光市(旧塩谷郡藤原町)にある「鬼怒川温泉」。かつて昭和の時代にレジャーの王道だったベタな温泉観光もとっくに衰退し、全国各地の温泉地が寂れていく中で、東京近郊で電車で行ける範囲で現在も観光客が安定しているような場所はここ鬼怒川か、箱根や熱海くらいなのではないか。

栃木県 日光市

そう言えば我々が鬼怒川温泉に来て街並みをまともに見る機会は、これまで無かった気がする。有名過ぎるし関東近県なのですぐ行ける場所だと高をくくっていたのもあったが、実際に来てみると、北関東屈指の温泉街という勝手な想像で描いた風情とは少し違っていたものだった。ベタな昭和の温泉地には付き物の土産物屋は殆ど無いし、射的屋なんかも数える程しかない。

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鬼怒川温泉の温泉街自体も南北に長いので、温泉街のメインが定まらずはっきりしないのもあるが、こうも土産物屋が閉まったままだったり、まともに食える個人の飲食店が少なかったり、浴衣を来た観光客が下駄を履いて闊歩するような、昔ながらの情景とは随分縁遠い場所のように思えた。

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じゃあ、ここに来ている観光客はみんなどこにいるのか?という疑問が頭に浮かんだら、咄嗟に目の前に現れた大型ホテルの前に大勢の観光客が集まっているのが目についた。そこは政府登録国際観光旅館「あさやホテル」だった。鬼怒川温泉を代表する大型ホテルの一つだ。

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このあさやホテル、バブル時代かよ!と叫びたくなるような超巨大でゴージャスな吹き抜けを持つ12階建ての「秀峰館」なる建物ともう一棟とに分かれていて、客室192、収容人数876名を誇る鬼怒川温泉の地を代表する大型ホテルとして君臨している。このホテルの中だけはやけに観光客だらけで、外の温泉街との寂れっぷりが両極端過ぎる。

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地元栃木の足利銀行の破綻を受けて経営状況が悪化。2005年に産業再生機構の支援を受けてピンチを切り抜けたという過去を持つ「あさやホテル」。あまりにゴージャス過ぎるので笑いが止まらないのだが…

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「あさやホテル」を始めいくつか存在する大型ホテルに客が集中して、こうしたホテルは全て建物の中だけで客が回って結局外に出て行く事にならないので、外の温泉街に金が落ちずホテルの一人勝ちになってしまうという構図は他の温泉街でも見られるものだ。それは近所にイオンが出来てダメになる地元商店街の構図にも似ている。

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しかしことさら鬼怒川温泉に関しては「勝ち組負け組」の差が歴然とし過ぎていて、さすがにこれはどうなのかなと考えさせる程の迫力があった。荒々しい岩場が特徴的な鬼怒川渓谷の両岸に、勝ち組と言っても良い「あさやホテル」や他の大型ホテル群と、負け組となってしまった廃業ホテル群が向かい合うという構図をこれから見て頂こう。

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あさやホテルに宿泊するなりすれば客室からも拝めるこの景色、鬼怒川渓谷を挟んだ向かいに大型ホテルがずらりと立ち並ぶ様子が見られるのだが、驚くことなかれ、ここから見えているホテルの大半は廃墟なのである。

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一見するとそんなに荒れていないように見える真正面の「鬼怒川第一ホテル」も、これだけ増改築しまくりで大きくなった宿であるにも関わらずやはり廃墟である。特に雪害の影響からか建物上部の庇が所々剥げ落ちているのが確認できよう。

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こちら「鬼怒川第一ホテル」は2008年11月30日に閉館。それ以来建物は放置状態で、目印の看板もご覧の通りビリビリに破けてしまっている。5年少々でこんなに荒れてしまうものなのか。嗚呼、諸行無常…

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鬼怒川第一ホテルの隣にそびえる、さらに輪を掛けてオンボロ具合が進んでいるこちらの高層ホテルは「きぬ川館本店」。昭和17(1942)年開業で、鬼怒川温泉では屈指の歴史を誇る温泉ホテルだったが、1999年6月に閉館したっきり、廃墟歴15年になる。

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「きぬ川館本店」自慢だった眺望風呂、ガラス張りの大浴場「かっぱ風呂」の姿も鬼怒川渓谷を挟んだ向かい側から観察できる。30億円の負債を出し経営破綻したホテルの残骸は今日まで解体される事もなく残され、廃墟マニアの心をくすぐっている訳だ。

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遠巻きに廃墟ホテルをボケっと眺めているだけでは済まない。早速鬼怒川渓谷を跨ぐ「くろがね橋」を渡り対岸へ。雄大な渓谷の両脇に大型ホテルが崖っぷちギリギリまでせり出して建っている。

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くろがね橋の欄干に近づいて渓谷の下を覗き見ると、ありえない場所に太鼓橋が掛かっているのが見える。昔あったホテルが建てたものだと言うが、どうやら渓谷の下まで行き来できる歩道が整備されていたらしい。今となっては、あの太鼓橋までどう行くのか方法は見当たらない。

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