長野県軽井沢町・連合赤軍「あさま山荘事件」の現場は今どうなっているのか 

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今から約50年前に西武王国・堤一族のコクドが開発を行ったと言われる別荘地は、国民的感心を寄せた大事件の現場にもなり、またある時は経済成長の波に乗って富裕層で賑わうリゾート拠点として栄えた時期もあった。

しかし現在は湖と庭園だけが整備され、店が撤退して廃墟となったブティック街の存在は無に帰されていた。時は無常なり。

我々はそんな見放されたリゾートタウンを離れ、浅間山荘を一目見たいが為に別荘地の立ち並ぶ山中を車で進み始めた。とはいえこの中も規模が半端なくでかい。小一時間迷いに迷った挙句車酔いにやられてしまう始末。

しかし事件の舞台となった「浅間山荘」の場所は当然だが現地の案内図には示されておらず、別荘の住人に「浅間山荘どこっすか?」と聞くのもクソ間抜けである。

道端には意味深なお地蔵様と慰霊碑らしきものが置かれている。あさま山荘事件の犠牲者を弔うためのものか、個人が建てただけのものなのか、それはよく分からない。

だがよくよく見ると開かれてから半世紀も経つ古い別荘地なのである。至る所に廃墟と化した別荘が点在していて薄気味悪くてしょうがない。昔の人の感覚であれば軽井沢に別荘を持つなんて憧れの頂点だったのかも知れないが、我々から見るとこんな気味の悪い山奥に住んで何が面白いのか?と首を傾げたくなる。

散々山の中をうろうろして「ポプラ通り」という通りに沿って進むと、突如として「浅間山荘」の建物は頭上から姿を見せる。取り壊されてもう無い、という話も聞いていたが、どっこい現存しているではないか。

惜しむらくは来た時期が悪かった。木の葉が覆い茂る真夏に来ると殆ど建物の外観が拝めない。あさま山荘事件があったのは真冬の時期だった。

急斜面の崖に建つ浅間山荘の建物は、確かに「難攻不落の要塞」と形容するにふさわしい。迂闊に近づくものなら銃殺されてしまい、どこからも近づきようがなかったはずだ。人質救出まで10日掛かったというのも、現地の状況を見ると理解できる。

特番シーズンなどでテレビで何度も見させられたあの有名な「鉄球作戦」も、現地を見れば分かるが、そのための重機を置くようなスペースがどこにあったのか?と疑問に思う。

現在の浅間山荘は所有者も変わっているそうだが、人がいるような様子もなく、ただただ密かに山中で余生を過ごしているかのようだ。

レイクニュータウンを出て、軽井沢市街地方面に500メートル程戻った場所に、あさま山荘事件の顕彰碑が建っている。

40年以上経った現在でもテレビの特番などで度々放送される、ある意味日本で最も有名な事件の一つ、といった印象が強いが、警察にとっても機動隊員2名、一般人1名を犠牲にした出来事でもあるのだ。

凄惨極まりない山岳ベース事件を含めた一連の連合赤軍の行為は、当時全国的に活発に繰り広げられていた学生運動を急激に衰退させる要因となった。

今となっては法政とか京大あたりで化石化したプロ市民が残ってるくらいですよね。

道端に何気なく置かれていた「治安の礎」。

現在も警察関係者を中心に献花や供え物が絶えない。しかしビールとかカップ酒だらけなんですが…

「治安の礎」の石碑の脇には、決死の「鉄球作戦」の様子が描かれたレリーフも残っている。今どきの世の中、連合赤軍のような過激な奴らがいたとはにわかに想像出来ない程にぬるい平和を享受している我々ですが…



※「突入せよ!あさま山荘事件」は警察視点、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は連合赤軍視点であさま山荘事件を描いている。どちらも必見に値する映画である。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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