日本全国を旅行して出来るだけ訪れたいと思っている場所の一つに元遊郭や赤線といった範疇の街並みがある。戦後の売防法施行をもって近い将来必ず存在自体が抹消されてしまう運命を持つそれらの街並みを出来る限りこの目に焼き付けたいと思うからこそ向かうのだ。
金沢で有名な観光地になっている「ひがし茶屋街」も、大昔は東の廓と呼ばれた遊郭の一つで文政年間に加賀藩によって整備された茶屋街の街並みが今に残っている。
今では観光客がどっさり来るいかにも的な場所になってしまっていて、京都は祇園辺りをそぞろ歩きするかのように団体観光客がぞろぞろ歩いているので、そういう意味ではDEEPさが抜けてしまっている。
メインストリートの入口あたりが広場になっているが、その付近は江戸時代というよりも明治大正昭和のレトロモダンな感じの店がちらほら見受けられる。例えばこの美容室とか。
モダンな外観の洋館風な「レストラン自由軒」。1909年創業とあるが建物の外観はリフォームされているのか年季を感じさせない。
さらに銭湯「東湯」などもある。これらの店は全て観光客御用達っぽいので、わざわざ入ろうという気にはなれず。
銭湯の奥の路地を抜けると浅野川大橋へ続く道と合流する。この道沿いも明治期に建てられた古い店舗が並んでいる。角には年季の入った酒屋プラス煙草屋。
さらに向かいの経田屋米穀店も明治時代の建築物。そろそろ観光客の多いメインストリートに戻る事にする。
にし茶屋街にも言えた事だが、今にも舞妓さんが出てきそうなひがし茶屋街の路地は観光地向けに整備されているので建物が古くとも素の情緒を味わう事が出来ない。金沢の「茶屋街」は芸者だけでなく娼妓も居た花街だった訳だがそうした歴史の痕跡は見事に消され、綺麗な観光地になっていた。
妓楼の中には江戸時代から現役で残っているものもあるが、あまりに整備されて綺麗になり過ぎるとかえってイマジネーションが湧かず映画のセットか何かに思えてくる。
メインの路地はいかにも過ぎて退屈なので脇道に入る事にした。突き当たりに古い食料品店兼駄菓子屋?「きむら」のでかい看板が見える。
その奥の路地にも所謂「茶屋街」が続いているのだ。兼六園と並ぶ観光名所だけあって徹底的に綺麗である。ゴミひとつ落ちていない。
すっかり綺麗どころになってしまって案の定面白みに欠ける訳だが、しかし傍らの民家の床に目をやると赤線地帯を彷彿とさせるモザイクタイルが敷かれていたり、見逃せない風景が残っている。
すぐ裏手は普通に地元民の住む住宅地にもなっている。昔からの家が多く風情は損なわれていない。
「きむら」のT字路の先を右に行くか左に行くか見比べたが、左を見てこの感じだと、右に行った方が良さそうだ。
細い路地の両側に茶屋が密集する。確かに風情はあるけど、石坂の路地裏を歩いているようなゾクゾク感は皆無だ。
こうした茶屋の建物に今ではどんな店が入居しているかというと、いかにも観光旅行してますよ的なスイーツ女子を当て込んだ和風カフェ(笑)だったりする。当取材班の範疇ではないので、そこは素通りするしかない。
茶屋街の建物の中でとりわけ珍しいのが外壁を朱色に塗られた妓楼が多い事だ。派手な朱色をあえて選ぶのが江戸時代の金沢人の粋だったのだろうか。
それにしても「ひがし茶屋街」は元遊郭ならではのトキメキが圧倒的に足りない。
石坂のように歴史の闇に葬り去られる運命にあるからこそ美しさが垣間見られるのが遊郭の本質ではないのだろうか。
「観光地」にするという事はすなわち「光を当てる事」である。そもそも光を観ると書いて観光だからな(語源:『観国之光』国の光を観る もって王に賓たるに利し)。すなわち「娼妓」や「遊郭」というものは本質的に闇に生きる存在であって、国の光にするのも、光を当てちゃうのもマズいのである。そこで「茶屋街」という名称でオブラートに包んだ観光地がここなのである。
まあ、無難にレトロを楽しんでお茶するくらいならいい場所なので。