うるま市の旧石川市中心地にあるかつてのAサイン地区だった「石川社交街」を引き続き歩き回る事にする。
旧石川市は戦後間近に旧美里村の一部でしかなかった場所に米軍によって家を焼かれた琉球人のための難民収容所が建てられ、2000人だった人口が一気に3万人にまで膨れ上がり発展して、旧美里村から分離して誕生したという特殊事情を抱えた街でもある。
また琉球政府の前身である沖縄諮詢会が発足したのもこの石川で、戦後沖縄の原点の一つでもあるのだ。
石川社交街の中でリバーストーン通りの他に、並行してもう一つ「ハイビスカス通り」というのがある。ここもまた趣深い作りをした飲み屋小路となっている。
そのハイビスカス通りの入口付近にある「一力レストラン」の古びた建物がこれまたそそられる。物凄くレトロな外観の食堂だが、見た目とは裏腹にハンバーガーとかタコスといったアメリカ人向けの料理が出てくるらしい。
残念ながら夜しか営業していないらしく、店の中には入れなかった。かれこれ創業50年近くでおばあが一人で切り盛りしているらしい。
ちなみに一力レストランから国道を挟んだ斜向かいにも思いっきり米軍統治時代の雰囲気丸出しな「USレストラン」がある。これ見よがしに掲げられたAサインマークは店の誇りか。ここもやはり夜しか営業していない。一力レストランと同じくハンバーガーやタコスといった料理が食べられる。
ハイビスカス通りの路地に足を踏み入れる。そこもやはり米軍統治下の名残りが感じられる街並みだ。一力レストランが入っている穴あきブロックが多用された古い店舗ビル、路地に入った先にも続いていて、そこにはスナックが入居していた。
まるで出入りする人間の姿を隠すかのような斜めに深く切り込んだ玄関口がなおさら怪しさを演出する。
ハイビスカス通りも同じくスナック密集地帯だった。四つ角の全てがスナックだらけ。そして建物は古いまま残されている。
特徴的な玄関口を持つスナックの店舗。石川社交街は決して大きな街ではないが個性的な店舗の建物が数多く残っている。
そこからさらに奥へ進んでいく。おでんとジューシーの店。いずれにしても朝早すぎたので開いている店は一軒もなく、ひたすら街並みを眺めるだけに終始した。
角を曲がった先の路地。沖縄人らしくかなりテキトーなネーミングのスナックが並んでいるが、その先は半分住宅街化している。
スナック街も年々寂れてきているせいか半ば廃墟のような佇まいの店舗も見られる。不自然に穴が開けられた店の扉が物騒だ。
ハイビスカス通りもまた50メートル程で石川漁港に向きあう車道に出た所で終了する。サロン「かなさんどー」はウチナー言葉で「愛してるよ」というベタな告白のセリフだ。
石川社交街にはリバーストーンとハイビスカスの他にもうりずん通りにサンダンカ通りというのがある。それらも全部回りきれなかった上に、石川市名物の闘牛なんかも地味に見過ごしているので、そのへんはまた次回の機会だ。
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