石垣島「電信屋」 – 本土と台湾を結んでいた通信施設の廃墟を訪ねて

石垣島や八重山諸島の数々は沖縄本島と台湾の間に位置する島々であり御存知の通り尖閣諸島の問題など常に国境地帯であるからこその話題には事欠かない。そんな八重山には今なお残る沢山の戦跡がある。

石垣島 電信屋

石垣島西部に「電信屋」(デンシンヤー)と呼ばれる場所があったので訪れた。石垣市街地からも相当離れた場所で、島最西端の屋良部崎にも程近い。ここに明治時代に建造された通信施設のコンクリート建築がそのままの状態で置かれているというのだ。場所がとんでもなく辺鄙でしょうがないのだが、カーナビの目印に「大崎牧場」があればそれを選んで行けば良い。すると牧場の敷地に面したT字路に間抜けに落っこちた看板が立っているので分かる。

石垣島 電信屋

看板の位置でT字路を左に折れると随分荒れた未舗装路へ入る。案内によると500メートル程でその「電信屋」とかいう建物が現れるらしいが、野生の孔雀が突然道路を横切ったり石垣牛が大量に放牧されているなどワイルドな光景に出会える。サファリパークかここは。

そのうち未舗装路は路面崩壊、溝だらけでヤバイ状況となりタイヤの幅がギリギリで踏み外すと溝に落ちてスタックしかねないという感じになる。幅から考えると普通車以上は無理そう。不安ならば手前で車を降りて歩いて来るべきだ。

石垣島 電信屋

一抹の不安にかられながらも道が突き当たる辺りまで来ると確かに古びたコンクリート建築が姿を現した。これが電信屋だ。傍らの案内板にある通り明治30(1897)年に建造された平屋建ての建物で、大きさ的には公衆便所のそれくらいしかない。

石垣島 電信屋

建物の側面を見ると至る所に銃撃を受けた跡が残っていて、コンクリートの下の赤煉瓦がちょいちょい剥き出しになっているのが分かるだろう。先の太平洋戦争時に軍事施設の一つと見なされて米軍からの攻撃対象にされたのだ。

石垣島 電信屋

築110年オーバーでなおかつ激しく銃弾を浴びながらも建物は土台からしっかり残っていて今日に至っている。普通に中に入ったりも出来てしまう。さすがに中から見ると風化の激しさがよく分かるのだが、無粋に鉄柵などを置いて部外者の立入を禁止にしている訳でもない。言い方は悪いが見放題である。

石垣島 電信屋

「電信屋」の建物にはなんとトイレまで完備されていたようで、どう見てもトイレとしか思えない土台と穴がはっきり残っている。現役時代には人も常駐していたんでしょうかね。

石垣島 電信屋

窓ガラス一つすら残っていない壁の開口部から珊瑚塀を跨いで向かい側が海となっている。そして2つ並んで空いている四角い窓の間には人の腰の高さくらいの所に据え付けられた何らかの構造物が見える。

石垣島 電信屋

もしかすると110年前から使っていた通信設備の痕跡かも知れない。規則的に並んだ四角形と丸い穴には電気部品の類でも埋め込まれていたんでしょうか。インターネットの先祖の先祖くらいですよねこれ。後付けされたものかも知れんが、ワールドワイドウェブ誕生から見ても100年近く前の代物かも知れない。そう考えると無駄にロマンな感じがしてきた。

石垣島 電信屋

石垣島観光でこの辺に来るとせいぜい御神岬あたりに行ったり川平湾で遊覧船に乗ったりするくらいだろうがここには是非来て欲しい。国境地帯の八重山だからこその戦跡。西表島とかも凄かったのだが、まあそのへんの話は後々にしましょう。

石垣島 電信屋

建物の傍らには「電信屋記念碑」がデーンと据え付けられている。明治期の日本における軍事戦略施設として意味の深い場所な訳だが、立派な石碑はともかく途中の道路はもうちょっとまともに管理できんものかと。

石垣島 電信屋

本土鹿児島より奄美、沖縄本島、石垣島、台湾基隆が一本の線で結ばれていた訳だ。当初は旧陸軍省の管理だったものが途中から逓信省に移管されて一般の公共通信にも利用されるようにもなったとの事。しかし日本の敗戦で台湾の統治権が放棄されるとそれ以後無用の長物に。

石垣島 電信屋

もっぱら「電信屋」(デンシンヤー)と呼ばれている建物だが正式名称は「元海底電線陸揚室」である。敷地は牧場の一部となっているせいか牛糞がいきなり落ちていたりする。足で踏まぬよう注意が必要だ。

石垣島 電信屋

電信屋の建物の裏に出るとそこは誰もいない海。二人の愛を確かめたくても誰も確かめる相手が居なさそうなくらいの寂しい海です。贅沢なプライベートビーチになりそうな場所だが明治時代にここから台湾まで海中通信網が整備されていたというのは凄い。当時の日本の軍事戦略はかなり進んでいたという事だろう。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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