今年春、沖縄県八重山諸島を1週間の予定で回っていた中、西表島にも立ち寄った。観光客がこの島に遊びに来る目的と言えば自然観察だの自然体験系の何かになるものと決まっているようなのだが、我々としては「西表炭坑」の跡地と外離島に一人で住んでいる裸のオジサンをできれば一目見たいという願望しかなかった訳で。
この外離島(そとぱなりじま)というのは、広大な面積を持つ西表島の中でも島の西側、いわゆる「奥西表」と呼ばれる一帯に位置している無人島だ。島の名前を見れば分かるがすぐ近くには内離島という無人島もある。こっちは戦前戦中期に炭坑跡があり、またこの船浮湾一帯は旧日本海軍の軍港として使われてきた歴史がある。確かに海岸線が入り組んでいて、波も穏やかで軍港には適した地形ではある。現在でも台風襲来時に外国船の避難先として使われている。
本来無人島である外離島に行く為には定期航路などはないので、対岸の白浜港から船をチャーターしなければならない。予約が取れたのは船浮にある業者のもので、ガイド兼船長さん付き2時間チャーターで2万円という内容。少人数だとお財布的に厳しくなるが、ここまで来てむしろ出費は惜しんではならない。波の穏やかな船浮湾から見る八重山の海の美しさは筆舌に尽くし難いものがある。
来た船はグラスボートになっていて足元のガラス張りになった船底から珊瑚礁を眺めたりできてしまう。結局2時間のチャーターで内離島、外離島、船浮集落の3ヶ所を回ってもらった。この船浮集落も同じ西表島にありながら陸路で道が通じていないので白浜港から定期船で行くしか出来ない奥西表の秘境の村。また後々その辺のレポートもしようと思う。
そういえば珊瑚礁と言えば「KYって誰だ?」という有名な朝日新聞珊瑚記事捏造事件。これ、西表島での話だった。傷を付けられた世界最大級というアザミサンゴはちょうど西表島のこの海域、厳密にはさらに奥地の崎山湾にある。やはりこの場所に行くには白浜港や船浮から船をチャーターするしかなく、船会社やダイビングの業者も非常に限られているので「誰が珊瑚を傷つけたのか」、関係者にはすぐバレてしまうらしい。今でも語り継がれるマスコミの虚報の代名詞、こんな稚拙なやり口だったとはね。
で、我々が目指していた外離島とやらに着きました。無人島扱いにはなっているんだけど、実のところこの島と内離島の所有者は台湾の実業家で、日本人から島を購入して1980年代から所有していたらしいのだが今年2月に夫妻ともども謎の変死を遂げている。香港の実業家と土地取引で揉めていたとも言う曰く付きの島。日本領土の島を巡ってきな臭い動きが水面下である訳です。そんな島に1人で20年以上過ごしている爺さんってどんな人だよ…と思ったら…あ、いる。
我々の乗った船が近づくやいなや、確かに一糸纏わず何故か頭にタオルだけ巻いた状態のオジサンがこちらに向かってくるではないか。ここがもし沖縄じゃなくてインド領アンダマン諸島北センチネル島だったら原住民に弓矢で攻撃されて生命の危機に見舞われる展開となるだろう。今のところ平和な島でよかったですね。
のっけから素っ裸のオジサンに歓迎を受けて島に上陸。「自宅」は浜辺から茂みの中に入ってしばらくの所にある。小舟が一隻だけ置いてあって、月何回かは船にエンジンを取りつけて対岸の祖納集落まで買い物などに行くらしい。姉の仕送りが毎月1万円入るらしく、その金で生活に最低限必要なものだけを買って島に戻ってくる。完全な自給自足生活ではない。ちょっとそれはどうなんだかと思ったが、まあ人それぞれだし細かい事は言わない。テレ朝の「いきなり!黄金伝説」の無人島生活そのまんまだが、さすがに0円生活は現実的には難しいようで、とにかく姉さんが元気な事を祈るしかないね。
色んなものが入っていそうなバケツが無造作にあちこちに置かれている。風呂やトイレなど日常的な水回りの用事は目の前の海で済ませてしまうと言っていた。ありとあらゆる排泄物は海の魚の餌になっている事だろう。それを環境破壊だと目くじらを立てるのは筋が違う。太古の昔から海沿いに住む人間はそうやって暮らしてきただろうし、フィリピンあたりの水上生活者は未だにそんな暮らしをしている。
茂みの中の獣道をしばらく歩いてオジサンのお宅に訪問。ずっとボカシが掛かりそうな展開はアレなのでなるべく風景にオジサンが映らないように撮ってます。ここに物珍しげに訪ねる観光客はやはり居て、月に何回かはこうして観光客を出迎えている。天涯孤独の無人島生活とは言えども人間関係はあるにはあって、同行していた船会社のスタッフとも親密な間柄だ。ここに住んで25年近くになると思われるが、未だに住民票は置いていないらしい。
一見すると何に使う道具なのか分からないものも多い。生活のために自作でこしらえたものに違いないが、何の道具か余所者が分からなくとも別に本人にとっては痛くも痒くもない話。
気になっていたオジサンの家はやや大きめのコールマン6人用テントでした。1人で生活するには充分な広さである。中に布団が敷きっぱなしになっていた。周囲にはテーブルや生活用品が沢山置かれている。伊達に20年以上暮らしている訳ではない本格的サバイバルライフ。テントの他にも奥に高床式倉庫が作られていて、日常の生活物資はその中に詰め込まれている。この倉庫も友人にこしらえてもらったものらしい。
この外離島に一人で暮らしているNさん。1935年生まれというので今年で78歳になる。長年のサバイバルライフの影響か、年齢の割には動きもコミュニケーションもハキハキしていて衰えを全く感じさせない。いつも全裸なのは「この状態が一番過ごしやすい」という結論。もちろん月に何度かの買い出しの時はちゃんと服を着て行くらしいし、いつもラジオを聞いているので外界の情報も割と詳しかったりする。
オジサンは福岡県出身で、若い時にはカメラマンやクラブのボーイや喫茶店のウエイターやら全国を転々としながら暮らしていたが40歳で結婚して2人の子供をもうけた。ところが50歳になって突然妻子を残して「蒸発」。再び一人転々として行き着いたのがこの島。「ここが自分にとって最高の死に場所だ」と終の棲家に決めたそうだ。こちらの所持するカメラに興味を示して、写真をバシバシ撮り始めた。さすが元カメラマンだ。
逆さに伏せたカゴに重しを載せている仕掛けのようなものもあった。本人に聞いたが別に野生動物を取っ捕まえて食っている訳でもないらしい。「島の生き物はみんな友達」だと。本当なのか…ちなみにオジサンは島に来て数年目で「カラスを操る術」を習得しているらしい。自然には従うが人間には従わない。人間不信の人生の末に導き出した彼のポリシーは死ぬまで押し通す覚悟だろう。
ついでにオジサン自称の「大農園」も見せてもらった。葉物野菜が最低限だけだがジャングルの中の小さな畑に植えられていた。見た感じ葉っぱがしおしお状態なんですが自給自足の足しにしているみたい。姉の仕送りがあるとは言っても文明を可能な限り拒んだ日常生活は決して楽なものとは言えない。だがその分、生きている実感は全く別次元のものとなるのだろう。
実はこの外離島にはオジサン以外にもう一人住んでいる人がいるという。たまに数週間単位で無人島生活に挑戦しに来る旅人が住み着いたり、オジサンと寝食を共にしたりする事もあるそうだ。オーハ島に潜伏していた市橋容疑者もここに来れば違った生活ができたかも知れないね。飛行機だと足が付くから西表島までは来れなかったんだろうが。なお、道路が一切通じていない西表島の崎山などにも、外界と隔絶された環境で暮らしている住民が僅かながら居るらしい。日本の領土にこんなフリーダムな島があってよかったですね。
…という訳で束の間の滞在だった外離島。そこでたった1人で暮らす爺さんに見送られながら我々は島を去った。もしもこの先の人生、何もかも嫌になったらここに住んでしまおうか…って思う事があるかどうか知らんけど。ともかく海と空が底抜けに綺麗なのがたまらんね。オジサンどうか末長くお元気で。
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