原爆スラムの名残りと広島復興の象徴「基町団地」を歩く 

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基町団地は1~13号棟の県営住宅と1~20号棟の市営住宅で構成されているが、とりわけ存在感の大きい市営18~20号棟までの高層住宅棟が団地の東側にあり、それとは対照的に小さな中層住宅棟が本川寄りの西側一帯に並んでいる。こうして見るといかに高層棟が巨大な建物なのかがよく分かる。

中層住宅棟が立ち並ぶ一角を眺めるとY字型の所謂「スターハウス」と呼ばれる形態の住宅棟が6棟ある。このスターハウスは昭和50年代以降の団地では作られなくなり残存物件も老朽化で解体されてきており全国的にも珍しくなっている。広島基町は団地マニアにとって垂涎の地であろう。

やはりこの団地群も高齢化が激しいようで人口がどんどん減り続けている。これだけ団地が並んでるのに道すがらすれ違う住民の姿もないし、みんな引きこもってるのか、身体が不自由で家から出られないのか。

こうして限界集落化する団地にありがちな展開は…と想像するとやはり中国人が空き家となった部屋にどんどん入りまくってくる光景。いや想像するまでもなく巨大なパラボラアンテナがベランダに取り付けられている部屋があちこちにあるんですが。やっぱり中国人住んでますね。

元から基町団地というのは原爆スラムの住民を引き受けてきた土地柄だけあって在日朝鮮人が多い地区なのだが近年はそれに加えて中国残留孤児の子孫も増えだしている。でかいパラボナがついてるのは中国の衛星電波を拾う為のもの。

スラムはやはり世代を越えてもスラムの役割を持ち続けるのだろうか。今後は原爆スラムの住民よりも中国人の方が増えてきて新たな問題を抱えてきそうな予感。

基町団地の敷地内には中心となる基町ショッピングセンターの他にもあちらこちら個人商店が立ち並んでいる。概ね寂れてしまってはいるがなお住民の生活に根付いた店の数々。

煤けたテント屋根が特徴的な御食事処だるま。20階建ての高層棟にへばりつくように立ち並ぶ店の一つ。基町団地住民御用達で食べログ(笑)とかには絶対出てこなさそうな食堂がこの辺には沢山ある。

渋すぎる食堂の玄関口。昭和40年代そのままの佇まいを残している。まあ定休日だったらしくて入れませんでしたがね。開いてたら絶対入ってたけどなあ。

店の看板がどっかで見た事のあるようなトリコロールカラー。そうかそうか。「中華そば、ホルモン焼、めし 酒肴」と書かれていてオッサン好みのそそられる品揃え。看板メニューにホルモン焼というチョイスがまた濃ゆいですね。

容赦無いレトロっぷりを見せる洋菓子屋の看板。既にこのへんの商店街もシャッターを閉めたままの店があちこちに見られる。そのうち中国人の店でも出来たりして。

でかいパラボナアンテナだらけの中層住宅棟に向き合う17号棟1階部分に整備されている「基町生協センター」も基町団地にある商店街の一つ。やたら寂れた風情が漂っているがとりあえず入ってみましょう。

中は公設市場のような佇まいになってはいるが案の定寂れていて3割くらいしか店が開いていない。食料品店がちょいちょいある程度か。

買い物客の姿も殆どなく、既に役割を終えた感すら漂う。そのうち埼玉の芝園団地みたく中国人向けに中華スーパーとか出来たら面白い事になりそうだがまだそこまで極端な事にはなってません。

かつては団地住民や子供達の溜まり場であっただろうソフトクリームとお好み焼の店もすっかり店じまいして放置プレイをかまされている。ああ無情なり。子供の姿はいずこへ…

ちなみに基町団地を校区とする市立基町小学校も1972年の設立当初は生徒数352人を数えていたが今では半減していて、今では残留孤児の子孫など中国ルーツの生徒が4割を占めているとか。市場の柱に書かれた子供の丈比べはいつの時代のものでしょう。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。

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