岐阜市中心部の寂れた繁華街「柳ヶ瀬」の中でも未だに現役で怪しいネオンサインが輝く街、西柳ヶ瀬のアーケード商店街の一画に戦後のドサクサ的佇まいを残した呑んだくれ横丁がある。
アーケード街の途中でひょっこりその姿を現すその名も「柳ヶ瀬センター」。キャバクラやらホストクラブのお下品でセンスのない店ばかりが立ち並ぶ商店街の中でも昔の盛り場の姿を残した場所である。
一歩中に入ると古びた飲食店長屋が狭い路地に向き合って奥へ連なっている。天井部分には雨除けのトタン屋根がついていて雨の心配が要りません。昼間は日光が入らず真っ暗である。
金津遊郭が戦時中に西柳ヶ瀬から手力に移転させられた時、この場所は川崎航空機の寮となったが昭和20(1945)年7月9日の岐阜空襲で標的にされ柳ヶ瀬一帯は灰燼と化した。そんな訳で戦後のドサクサがあってもおかしくないですね。
スナック街の路地は縦横入り組んでいる。まあ柳ヶ瀬自体寂れ気味な事もあってかテナント募集の札を下げた店舗も少なくない。
単なるスナック横丁と思っていたらお悩み相談系のよくわからないお店も紛れ込んでいて何やらカオスなんですが…
陰気臭いくすんだ路地にせめてもの華をというつもりだろうが派手派手しい青色の店舗看板が並んでいる。
柳ヶ瀬センターのややこしい路地を抜けると入口の上にはこれまた立派なアーチ看板が。建物はボロいままなのにこうした看板の類だけは青一色のものに新調されているのでアンバランスさが目立つ。
どうでもいいけど真向かいのタクシー乗り場が無駄に立派。車社会の岐阜にとって呑んだくれた後のタクシーは必要不可欠な訳です。柳ヶ瀬も散々不景気かと思っていたがタクシーは案外儲かってそうだな。
柳ヶ瀬センターの他にもアーケード街に面して戦後のドサクサ的スナック街が存在している。やさぐれ感はこっちの方が上ですよね。横丁の入口にはサッポロラーメン。
横丁の入口には昔ながらの古ぼけた看板がそのまま残る。こちらは「丸川センター」というお名前。なんとかセンターというのが好きなんでしょうか。
中に入るとこちらもリアル昭和30年代な風情そのままな佇まい。奥の方に飲食店舗がひと塊になっているようだ。
昭和丸出しのスナック看板群は行き止まりの袋小路。頭上の輪っかは外灯のようだが夜になればライトアップするのだろうか。
斜め玄関が特徴的な「スナックフィラ」。掃除用具が置きっぱなしになっているがまさか現役ですか?
さっきの柳ヶ瀬センターとは違ってトタン屋根の天井が高いので開放感を感じる訳ですが建物自体が三階建てになっていた。上の階はやはり住居になっているんでしょうな。
奥の方は和風な佇まいのおでんとお茶漬けの店。「飛騨」と聞くとやはり岐阜らしさを感じますなあ。同じ岐阜県の割にめちゃくちゃ遠いけど。
丸川センター向かいの古びた菓子屋跡もなかなか凄まじい佇まいだ。「コガネパン」の看板がそのまま残る。ここら一帯は戦災に遭っているので、恐らく戦後の建物と思うんだけど…